静かで暑く、そして孤独な土曜日である。今年度は週末の仕事を昨年の半分以下にしているので、土曜日に体が空くことが多い。
仕事は減っているわけではない。仕事は山ほどたまっている。勉強せねばならないこともたくさんある。が、今日は気分が乗らない。気分が乗らないときに仕事をしても良い仕事は出来ない。今日は気分に任せて違うことをする。志ん朝の落語を聞きながら、ジョギングをする。洗濯をする。洗濯物を干す。アイロンをかける。買い物をする。腕時計を修理に出す。掃除機をかける。食洗機をかける。黄ばんだ衣類を漂白する。うまくいかなく、あえなく捨てる。
志ん朝は上手い。名人だ。でも、志ん生の方がより上手い。志ん朝はうまさを見せつけすぎなのだ。
NHKで過去のワールドカップの再放送をやることを思わず知ってしまう。今のワールドカップだけだったらよかったのだか、86年のアルゼンチン対イングランド実況しますよ、とか言われるともうたまらない。慌てて電気店でHDDレコーダを衝動買いしてしまう。今日はこのセットアップでたくさんの時間を使った。iphoneで通勤時にみれるようにする。こんなことに時間使ってる。後ろめたい。
86年。僕は中学生だった。こんなに集中して見たワールドカップは後にも先にも初めてだ。82年は小学生だった。ソクラテスがヒールキックをしてる、とかくだらないことしか注目できず、僕の82年は後の録画の焼き直しだけだ。90年は燃えた年だが、単調なワールドカップだった。94年もそうだった。98年はアメリカで研修を始めた年でぐちゃぐちゃしながら見た(もっとも、少しフランスにいたので現地の雰囲気は楽しめた)。そういえば、予選のイラン対日本はNプログラムの選考面接の前日、東京のホテルで見た。2002年はアメリカで見ていた。2006年は千葉で見ていた。でも、仕事が忙しくて流してみていた。
86年は生放送もなく、こずかいで安い韓国製のビデオデッキを買って一番安いVHSのテープを買って、録画で見た。当時は、韓国製と言えば悪い品物の代名詞だった。なんどもテープがすり切れるくらい見た。今みたいにサッカー中継は多くなく、他に見るものもなかったのだ。島根ではダイアモンドサッカーすらやってなかったのだ。86年WCは全試合は放送されなかったし、音声も映像もぱっとしなかったが、これが僕のワールドカップだ。これこそが僕のワールドカップだ。
暑くてむしむしする日だ。今日はなぜか、刺身が食べたい。志ん朝の聞き過ぎかもしれない。刺身であれば、日本酒しかない。ワインは「あわせて、あわせられないことはない」が、決してベストマッチではない。スーパーで切り落としのぶさいくな刺身を買う。298円である。合わせて日本酒を買う。玉の光、純米吟醸酒。
洗濯物を取り込んで(よく乾いてる)、たたみながら、BSのワールドカップ特集のだらだらしたテレビを流す。山本浩アナウンサーが出ている。彼は島根県松江市の出身だ。島根県をことさらに強調し、重要視する僕としては、山本さんと秦さんは貴重な存在だ。
明日のための、草稿を書く。推敲し、批判的吟味を受けて書き直す。
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