昨日は3年生に講義。今年度の講義は1年生の「医学序説」に続いて。お題は「臨床感染症学の基本」
19歳女性の止まらない咳から問診だけで原因微生物まで導き、臨床感染症学が通常の微生物学と逆に思考することを示す。感染経路が大事であることを、パスツール、ボツリヌス、炭疽菌、ジョン・スノウ、ゼンメルワイスの例を示して考える。結核について考える。HIV感染症について考える。インフルエンザについて考える。感染症の診断の恣意性、病気の診断の恣意性について考える。ソシュールと構造主義について考える。抗菌薬の歴史について、秦、フレミング、フローリー、チェーン、世代を通じたセファロスポリン、MRSA、院内感染という流れで考える。予防接種の価値について、種痘から考える。DTaPに言及し、これで冒頭の話につながって。その間、雄弁(レトリック)ではなく、対話(ディアレクティクス)こそが大学生の学問なので、だから本当は俺の講義なんて聴いてちゃダメで、自分でがんばって勉強しなさいよ、という話をする。ハンドアウトやシラバスやパワポが大学生の勉強の質を下げますよ、という話もする。答えを出そうとするな、疑問を出そうとしなさいという。俺は正しいと主張するな、俺は本当に正しいの?と首をかしげなさい、という。神戸大の学生は賢いのでこの程度の内容なら理解できる、、、はず。それにしても60分x3回の講義は疲れます。
回診したり書類仕事をした後、グレミリオン先生の歓迎会で焼き肉。この1年野菜中心の食事なので今は胃が重い、、、、肉をがつがつ食えた若き日が懐かしい。
本日は厚労省の会議。やっとこれで終わりだ。今新幹線。その後Nプログラムの歓送会。ずっとでていなくて失礼していたので、久しぶりに顔を出す。
明日は岡山大で研修医にセミナーです。最近はようやく大学でお話しする機会もできてきた。数年前は一般の病院で呼ばれることがあっても、大学に呼ばれることはめったになかった。たまに大学に呼ばれて話をしても、「岩田先生は奇抜なアイディアの持ち主ですね」とか座長にとんちんかんなことを言われたものだ。基本的な話しかしていないにもかかわらず、である。亀田にいたとき、清山先生がまだ学生の時、東大に呼んでくれたが、東京大学の教員は「そんな人呼んでもしようがない」的に僕を呼ぶのを拒んだ。なので、清山先生たち学生が自主的に呼んでくれた。もちろん講演料はただである(ただし、あとで聴衆のアンケートをくれた。こういうのはうれしい)。今は大学はおろか、学会で話をしてもちゃんと通じる。話の内容はたいして変わっていない。奇抜なアイディアもオリジナルな思考もない。基本的な話しかしていない。青木先生や遠藤先生の講義のパクリ話を繰り返してしゃべっているだけである。世の中がようやく変わってきてくれたのである。遅々としたあゆみながら、確実に。
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