昨日は川西市医師会主催の講演。抗菌薬の話をする。
スライドはいつも100枚ぐらい用意していたのを、今回思い切って20枚ちょいに減らす。しかし、実際に使ったのは5枚くらい。
これでいいのだ。対話が生まれ、議論が生まれる。雄弁=レトリックによる「説得」ではなく、対話=ディアレクティクが生じる。抗菌薬はこんな風に使いなさい、ではなく、抗菌薬の勉強が何をもたらすのでしょうね、という問題提起が生じる。句点や!で終わる文よりも、?で終わる文章の方が大人の議論が出来る。
結局、伝えたかったのは4点。
1.抗菌薬の適正使用は耐性菌対策とか何とか言うけど、あれは表向きのきれい事。抗菌薬を勉強し、目の前の患者にベストな薬を選ぶのは、証をばっちり言い当てて漢方を出すようなもので、知的快楽である。ルーチンで苦痛な風邪診療=全例フロモックス、ジェニナックではなく、英知を尽くして抗菌薬を吟味した方が、外来診療は快楽なのである。
2.感染症の重症度は熱、白血球、CRP「ではないところ」に求めたい。CURB-65の意味を考えるべき。
3.de-escalationをなぜやるのか、考える。感受性検査の読み方を考える。
4.CRPは「きっかけ」として役に立つことがある。ただし、CRPで終わってはいけない。CRPだけにすがっていると、高齢者の側頭動脈炎に抗菌薬だけ出して帰してしまうし(実話)、小児の菌血症早期をCRP陰性という理由で帰してしまう(実話)。CRPは他の情報との文脈によってのみ語ることが出来る(そして他の情報を突き詰めてしまうとCRPが必要なケースは少数派となる)。CRPを基準に抗菌薬を止めてはいけない。そうすると、CRPが下がったといって抗菌薬を切ってしまい、心内膜炎の患者が死に至る(実話)。治っている肺炎に何ヶ月も抗菌薬を処方する羽目になってしまう(実話)。
これでだいたい90分くらい。もちろん、こんな話は抗菌薬学の1%もしゃべっているわけではない。でも90分べらべら紙芝居をやっても10%もしゃべれまい。そこでその100枚あまりのハンドアウトを渡してしまうと、そこで話は終わってしまう。読み手の理解は10%で完結してしまう。
だから、絶対にハンドアウトは渡してはならないのだ。講演は遙かな地平がありますよ、ということしか示さない。地平の向こうにあるものを見たかったら、自分で足を動かしてそちらに向かうしかないのだ。もちろん、そこに行かなくたってかまわない。でも、遙かな地平の向こうが「あるにちがいない、見てないけど」という認識を持つことは出来る。天竺に向かうまえの三蔵法師のように。
参考文献は、示す。開業医の先生には「感染症外来の帰還」をお奨めしている。「感染症外来の事件簿」は学生向けに書いていた。「帰還」は外来診療医向けである。門を開いて前に歩きたかったら、これが道しるべとなる。
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