京都にて呼吸器学会。朝一番のシンポジウムは感染症のpros and cons。バトル的な設定に興味津々で、平日朝一、学会初日という悪条件の中、立ち見の出る盛況だった。4つのテーマを8人で論じあう。
結果から言うと、非常に落ち着いたシンポジウムだった。日本でも成熟した議論をやろうと思えば出来るんだ、と良い意味で驚いた次第。難しいテーマをもらった演者が、割と同じことを考えていたんだな、とも感じた。
たいていの臨床問題はイエス、ノーでは切れない、煮え切らない問題である。だから、イエスという条件、ノーというための条件を詰めていくだけである。その営為を舞台上で行った、ということだ。
昭和大の吉田耕一郎先生は、CRPを使うという主張をした。その主張の正当性を担保すするために、「間違った使い方」を例示した。CRP「だけ」を使ってはいけない、という条件留保を行った。いつでもlimitationの開示はcredibilityをあげてくれる。対する矢野=五味先生はCRPの限界と不透明さを主に文献学的な見地から検討した。同じ論文も多層な切り口があることも示した。
東北大学の菊池利明先生はde-escalationとは何か、なぜ必要か、それは可能か、有用か?問題点はどこか?を整理した。佐賀大学の福岡麻美先生はこれに対し、とくに「最初に広域に」というde-escalationに焦点をあて、「そもそも本当にいつも、常に広域なの?」という切り口であった。de-escalationの有用性は福岡先生も百も承知で、これしか切り方がなかったのだろう。de-escalationそのものよりも、初期治療のあり方がうまく議論された。
大曲先生と千葉大の猪狩英俊先生は基本的に同じことをおっしゃっており、欧米の投与量が日本で実現していない歴史的理由。その払拭する理路。効能とのトレードオフ関係にある安全性の検証法を議論した。公知申請などのキーワードも飛び出し、かなり本質的なPMDAや厚労省的問題の整理だった。
そんで、阪大の朝野先生。HAP,VAP, HCAPのガイドラインの日米差をシニフィアン、シニフィエの構造主義的切り口から議論し、アメリカの疾患概念は医療制度そのものが影響を当てており、それを日本には持ち込めない、という理論を展開する。対して岩田はドラッグラグの観点から海外のデータを日本で全てreproduceするのは効率が悪いこと、第3相試験まででは安全性の担保はどのみちできないこと、現行の日本のRCTの質は決して良くないこと、けれども、ニューモバックスのスタディーなど日本発のよいエビデンスも出ており、決してあきらめてはダメなこと、日本でももっともっと臨床試験を、質の良い臨床試験をしなければならないことを説いた。
これをアレンジした、東北大の渡辺先生、昭和大の二木先生、佐賀大の青木(洋)先生、ありがとうございました。
3月、4月の会議、授業、書類、学会の地獄のロードもこれで一段落。感染症学会、内科学会、呼吸器学会のはしごもしんどかったが、最後はいい感じで終われてよかったっす。僕はこれからクールダウンし、ゴールデンウィークあけまでは英気を養うことにする、、、、したい、、させてください。
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