この数週間は非常に消耗する日々であった。疲れ切った。
まあ、もっというと、この数ヶ月は非常に消耗する日々であった、ともいえる。
まあ、さらにいうと、この1年間は本当に消耗する日々であった。
それをいうならこの数年間は、、、もうしつこいから止めよう。
自分が大学教授であることの意味や意義をとても考えさせられる日々であった。これが僕をとても疲労させた。そんな中で急患が出たり、しくじりがあったり、学会があったり、発表があったり、今月出る本のトラブルがあったりと、まあ出るわ出るわ。
こんなときは(そんなときだからこそ)アクシデントが多い。
弱り目に祟り目で、こういうときに限ってコンピューターが壊れる。それも、続いた。呪われているのかと思ったくらいに。
macbook airのヒンジが壊れ、海外出張直前にセカンドマシンを購入せざるを得なかった。そのセカンドマシンにウイルスが感染し、HDが壊れて僕のメールのなりすましが大量に発生した(岩田の気がふれたのではと思った人もいたそうです。ご迷惑をおかけしました)。これの修復にかなりの時間を要した。要するに昨日の1日はこのことにけっこうかかり切りであった。さらにもう一個のコンピューターのHDも壊れていることが判明し、こちらはOSインストールやり直したのだけれど、そのためにやるバックアップのtime capsuleの調子が悪かったのでそれを使えるようにし、バックアップをとってから以降アシスタントを使おうと思ったら、豹を雪豹にしていたのを忘れてしまっていたのでバックアップできず。雪豹は諸般の事情で手に入らず、ソフマップで購入。インストールしてバックアップ、やれやれと思ったら、何時間経っても終わらない。あれれ?そうだそうだ、インストールした雪豹をアップデートしなかった。アップデートして、もう一度やり直し。ようやく復旧しつつある。
macbook airは初代のもので、もともとヒンジが弱く、無料で直してくれることを心斎橋のアップルストアで教えてもらった。アップルはアメリカの99%の会社がそうであるように電話対応が不親切か高額なので、直接ジーニアスバーに行った方が100倍親切な対応を得られる。特に日本のアップルストアは接遇教育がしっかりしていて、眉にピアスをした茶髪のお兄ちゃんがTシャツ姿で完璧な敬語を駆使して細かくサポートしてくれる。捨てる神あれば拾う神あり、だ。
とにかくあまりにトラブルシューティングばかりやっていて、ちょっとやそっとのことではうろたえなくなってしまった。強靱な精神を涵養するのに若くして大学教授になるのはもってこいの舞台である。人間のほとんど全ての邪悪で醜いものと毎日取っ組み合うことができる。相撲の稽古と同じで、こういうのと何番も胸を合わせていくと、強くなれる。
そんなこんなでばたばたしていたが、その間に「公衆衛生」に出す原稿を一つ書き上げる。新型インフルエンザ対策の他国との比較。他国との比較、という発想そのものがあまり好きではないので気が乗らなかったのだが、ちょうど厚労省の検証会議が今月から始まるので、それに合わせて総復習した。なるほど、振り返るといろいろと面白いことが判明した。原稿を書き上げて、専門家の皆様に草稿を開陳してご意見を伺うことにする。
その間、移動やら待ち時間があったので、Robert P ParkerのSplit Imageと新宮一成の「ラカンの精神分析」と長谷川宏の「新しいヘーゲル」を読む。ただし、ラカンはまだ読了できず。ParkerのJesse Stoneシリーズは相変わらずリリカルな良い文章だが、ややマンネリ化(僕の中で)。しかし、その文体は本当に美しい。「ヘーゲル」はヘーゲル以前の古代ギリシャ、ルター、カトリック、プロテスタント、、、そしてデカルト、ベーコンの流れからどのようにヘーゲルに至ったのか。そして、ヘーゲル以降、キルケゴール、ニーチェ、マルクス、ハイデガーらにどのように移されていったのか、かなり分かりやすく俯瞰できた。素人にはとてもよい入門書だった。
検証会議での議論の軸を明確にしておくためにも、今「ヘーゲル」に触れておくことはとても有用だった。これでぶれずに突っ込みを入れられそうだ。ゴーマンかまして公言してしまうが、僕は口げんかで負けることはほとんどない(ごく一部の例外はあって、絶対的に勝てない相手もいる)。勝っちゃうとルサンチマンが生じてうっとうしいときだけ不戦敗するだけだ。そのとおり、だから余計に腹が立ち、なのである。大事な国の会議である。自己保身を一切考えずに、国のあり方のために真摯に誠実に喧嘩する覚悟を決めるだけである。だから、相手にもそれなりの覚悟を決めて欲しい。保身や「立場」や省益なんてくだらないものを考えずに、である。
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