新聞を読まなくなって久しいですが、何事にも例外があって、新聞にも読んでいて面白いところがあります。
それは日曜版の書評。ここだけは時間さえあれば全紙読みたいくらいです。朝ゆっくり起きて午前中のんびり新聞の書評を回し読むなんて日々。いつか来るんでしょうか。
出張先のホテルにたまたまおいてあった読売を読みます。竹内一郎が「若者がダメという大人がダメ」という書評に絡めたエッセイを読みます。
本当、そう思う。今の若者より大人の方が全然だめ。これは政界、医学界、教育界などみんなそう。今や立派な大人は希有な存在になりました。志があり、魂があり、責任感強く、謙虚で眼差しに光がある。そういう大人を見る事はまれになりました。だから、内田樹さんとかにたまにお会いするととても嬉しくなる。
たいていの大人は志を失い、魂はどっかに置き忘れ、ひたすら過去の貯金ばかり見せびらかして傲慢で、何か悪い事があると全部「私以外の誰かのせい」。そして眼(まなこ)は濁っています。おまけに品がない。
ぼくもそういう大人になってしまわないか、不安で仕方がありません。もうなってるって?
土浦で行われた指導医講習会に行ってきました。その「希有」な大人の会であったと思います。前野先生の指導医講習会はAbbey Roadだ。各セクションは独立している番組なのに、最初から最後まで底流する一貫した流れがあり、メッセージがあり、目的があり、起承転結があります。こんな指導医講習会は初めて見ました。
指導医講習会に参加する度に日本の大人の「ダメさ」を目の当たりにしてきた僕としては、しばしほっとした時間なのでした。これから家に帰るのは大変だけど。
帰りの新幹線では、購入したばかりの「邪悪なものの鎮め方」を読みます。「知的パフォーマンスの向上というのは、「容器の中に詰め込むコンテンツを増やすこと」ではないからである。ぜんぜん違う。」と書いてあります。
そのとおり。
僕が内田樹さんに強く共感を覚えるのは、僕に彼を紹介した人物の影響も大きいですが、その言葉がいちいち自身の価値に共鳴するからです。こういう共鳴は、職場ではほとんど得られないし、学術界でも全く得られないし、まあ医療の世界でもあんまり得られない。
本書からもう一つ興味深い引用。内田先生は能舞台に立つが、そのときの話。
先生は本番前はこちらの体温が下がるほどにてきびしいが、本番終了後は決して過去を振り返らず「はい、守備ようおできになりましたな」と水に流して、もう来年の話に入るのである。
これが、教育の極意であろうと思います。教育の極意とか、最近言いませんが、標準化とかアメリカンな話ばかりしていて、大事なものはほったらかしなのでした。
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