以前、岡田監督の更迭案を出しました。サッカー協会の犬飼会長は「リスクが大きすぎる」ので岡田監督は更迭しないと言います。この期に及んで選手の気持ちの問題に還元しちゃうなど、あまりにもアナクロな見解で耳を疑います。
リスクが大きすぎる?
では、更迭しないリスクは小さいものなのか。旅順での愚直な突進のように、「変えない事もまたリスク」なのです。何かをするリスクは過大評価され、何もしないリスクは過小評価されがちです。本当にそれでよいのでしょうか。そう発言するからには、犬飼会長自身、岡田監督と心中、ということでしょうか。心中する気があるにせよないにせよ(まあ、ここまで言っておいてWCで負けて犬飼会長が責任をとらない、ということはよもや無いとは思いますが)、このような玉砕思考がまだ綿々と日本に生き残っている事は驚くべきことです。北京オリンピックの野球からは何も学ばなかったのでしょうか。
日本代表の最終ゴールは6月にあります。決して3年後のチーム作りをやっている訳ではありません。今のままで、6月にベストのチームができる可能性がいったいどのくらいあるのだろうか?という問題です。ほぼゼロ、なのではないでしょうか。
前にも書いたように、岡田監督の人格を問題にしている訳ではありません。80年代の現役選手時代からみてきた岡田さんはその高潔さでむしろ有名でした。彼が怠慢だ、と言いたいわけでもありません。むしろ寝る間も惜しんで日々日本代表の事ばかり考えているに決まっているのです。その力を200%絞りきるまで出しているのに違いないのです。尊敬に値する人物であろう事はその通りだろうし、まえのワールドカップみたいに家族に嫌がらせなんてしてほしくはない。でも、高潔で勤勉なことが代表監督の要件であるのなら、離島のドクターに監督やってもらえばよいのです。
むしろ、全力を出し切っている事が問題なのです。そのことは、今後サッカー協会が岡田監督を叱咤激励したって、もう絞りきった布からはひとしずくだって落ちてくるわけがないことを意味しているからです。
岡田監督が監督として無能だ、なんて極論を言っている訳でもありません。J1やJ2で勝つ実力は持っており、その成果は示しています。ただ、全世界に、ワールドカップ出場国の監督を務める事ができるのは、4年間で30人弱しかいないのです。そういうことなのです。ベンゲルもファーガソンもグラウディオーラも体験した事のない偉業なのです。
韓国に負けた事がいけないのではありません。テストマッチなんて負けたって良いのです。問題は、負け方です。昨日のあれは、10回やっても全然勝てないような負け方でした。韓国選手がペナルティエリア内で露骨で愚かなファウルを侵さなければ、得点すら入っていなかったかもしれません。いろいろ不運もあったかもしれませんが、それを差し引いても正当な負けでした。明日に何の希望も持たせない、完膚無きまでの負け方でした。1974年のオランダや、1982年のブラジルのように、「負けはしたが、、」と感じさせるようなものはみじんもありませんでした。韓国ごとき(あえて言うが)のプレッシャーで攻めあぐんでいて、カメルーンやデンマークや、ましてやオランダとまともに対峙できるわけがない。もう、「ベスト4」なんてことばを使う事すらはばかられます。ホームの国立でここまでボコられて、嬲られて、これで静観する事がリスクを背負わない事だなんて、、
日本の決定力がないのはある程度仕方がない。ストライカーはなかなか育てられない。世界の名伯楽だって、ストライカーはたいていどこかから買ってくるのが通例です。カズ以来、日本にはストライカーらしいストライカーがいない。エースと呼べる人物がいない。そしてそれは日本代表監督のせいではない。
個の力が及ばないのは代表監督のせいではありません。
日本代表選手は世界の中ではセカンドクラスなのは間違いなく、その証拠に欧州のトップリーグで活躍できる選手はゼロなのです。中村俊輔はスペインではレギュラーすら確約できず、スコットランドは欧州の「トップリーグ」ではありませんでした。カズや中田だって欧州では決して活躍できたわけではない。大久保や小笠原は世界では歯が立たなかった。これが日本の選手の実力です。
逆にいえば、監督だけは、監督だけは世界トップレベルを据える事ができるのです。買ってくる事ができるのです。理屈の上では、世界最高の監督だって日本代表監督を務める事ができるのです。
日本代表がワールドカップで勝つためには、個の不利をチーム力で凌駕するしかない。これは全ての識者が言う事です。ということは、個の不利を凌駕できるようなチーム力を構築する、単にレベルが高いだけではなく、スーパーな監督が必要という事になります。オシムを雇ったのはそのようなもくろみの元でした。岡田監督が世界でスーパーなパフォーマンスを示した事はかつて一度としてないのです。今後それが起きる、というミラクルを我々はどのような根拠で信じればよいのでしょう。
フランスW杯の岡田監督はご褒美でした。あのときは出場するだけで大満足で(僕らも満足してました)、ワールドカップは出場してくれた事へのご褒美だったのです。
でも、そのような形でW杯を率いた岡田監督は「勝つために」カズを代表から外したのでした。それがプロの態度だと思ったからでしょう。僕はそれは、プロの態度として正当なものだと思います。だとしたら、勝つためにカズを切った岡田監督が今監督の椅子に居座り続ける事は、ダブルスタンダードなのではないでしょうか。
リアヌ・ミケルスがオランダ代表監督になったのは1974年。最初の試合は同年3月27日のオーストリア戦でした。日本にはもちろんクライフはいませんが、別に今世紀最高の伝説のチームを作ってくれと言っているわけではないのです。まだ、間に合う。
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