僕も昔は夫婦別姓ってイヤだなあと思っていました。家族の絆が壊れるんじゃないかとか。
民主党が進めている夫婦別姓、これは断固みとめるべきです。櫻井さんとか反対しているけど、「許容する」ことと「推進する」ことを混同している。要するに論理的に間違っている。
自分と価値観の違う考え方を許容できるか。これが人間の優しさとか度量とか、その人の価値とかを決定する大きな要素だと思います。自分がするかしないか、好きか嫌いかは別に、あるシステムを許容できるか、それが大事。自分が嫌いだから、他人もそれに乗っかってはダメ、というのが櫻井さんの論拠です。つまるところ、高級そうに見える議論もたいていは好悪の問題に還元されるのでした。あとは、後付けの説明に過ぎないのです。
自分は嫌いだけど、自分ならやらないけど、でも他人がそうするのは認める。
というのが大人の度量です。日本の論壇は(まあアメリカとか、外国もそうだけど)非常に幼児的です、そういうところは。
あるカップルが夫婦同姓を望むなら、それはそれでよい。問題は、それを他人に押しつけない事、ということです。
女の人は姓が変わるとやたらと面倒くさいのです。役所であれこれ、これまでの証書も論文もいちいち改訂、訂正、申し訳をしなくてはならない。イデオロギーの問題ではなく、単に手続き上の面倒くささを解消する、という観点からこの議論は進められるべきなのです。それほど論拠は面倒くさくない。簡単な話なのです。もちろん、フェミニズム云々とも何の関係もない話です。
池田清彦さんが言うように、要するに他人に迷惑をかけない限り、他人(ひと)が何をしようが他者があまりつべこべ上から目線でああしろ、こうしろ言うべきではないのです。文化的根拠もたいしてないし、、、、
たとえば、いま、源氏物語をちまちま読んでいますが、昔は男子の姓に女子が合わせるなんて文化はなかった。一緒に住むという文化すらなく、一夫多妻、多夫一妻もざらでした。「日本文化」なるものを語るときも、何の話をしているのか、いつの文化の話をしているのか、慎重な態度が必要です。文化は歴史により変遷し、そして未来に向かって創り出していくものですしね。
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