ACIP会議では一般の参加者が発言できるのがとても興味深かったです。さらに面白いな、と思ったのは、多くの発表者が原稿を書いてそれを読んでいたことでした。たとえば、髄膜炎菌感染症で家族を亡くした患者代表は、自分の子どもがどのように発症し、手足が壊死して切り落とされ、そして死に至ったか、というような内容を原稿にまとめて朗読していました。
何年か前の、あるエイズの学会で、患者代表が「私をここまで生かしてくれてありがとう」という内容のスピーチを朗読したときもそうでした。発表後は拍手の嵐、スタンディングオベーションで、聴衆の目には光るものすらありました。
問題は、朗読しているかそうでないか、ではありません。言葉に自分の魂が乗っているかどうか、が大事なのです。長田弘的に言うと、「言葉のダシ」というやつです。
こないだ、某発表会で原稿を読んでいた、ということで発表者が非難されていました。問題の本質は、そこにはないのだけどね。本質と形式の取違はオムニプレゼントで、これは僕にとってとても苦痛です。大学ってそういうとこ。
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