リーダーシップについてのワークショップを依頼されていて、今勉強しているところですが、結論から言うとこの領域は「よく分からない」。
既存のリーダーシップ論にはいろいろ問題点山積みです。
1.脳科学や社会学、行動科学、心理学のベーシックなデータをいきなり現場でアプライしている。いわば、マウスの実験で「効いた」薬のいきなりの臨床応用。
ビジネス本の大多数はこの誤謬で読者を煙に巻いています。
2.限定された条件で観察されたデータを無理矢理一般化している。ある日あるとき上手くいった事例がユニバーサルに上手くいく「法則」に変換されている。
これは4の中で出てきます。
3.失敗体験の反対が成功であると誤認されている。
失敗例たるリーダーの反対をやれば上手くいくとは限らない、、、、
4.ある一つの成功例が成功をもたらしたリーダーの、未来永劫における必要十分条件と誤認される。
これはアメリカ系のビジネス本にありがちな誤謬です。有名なのは元ニューヨーク市長のジュリアーニ。彼は市長になってしばらくは評価は微妙だったのですが、911で一気に評価を高めました。しかし、米国大統領選ではあっさり惨敗。
「リーダー論を含めて、ビジネス理論はすべて賞味期限を持ち、未来永劫有効な方法論はあり得ない」。
といえそうです。同様のことは、最近ではCDCのガバディングさんにもいえると思います。緊急時、黎明期のリーダーが安定期には誤作動を起こしやすいこともよく知られています。星野流がもてはやされたと思うと、その後は渡辺流が流行ります。あれだけもてはやされたベンゲルやヒディングはバッシングの対象で、いまやグラウディオーラが「旬の」リーダーです。彼が負けるまでは、そうでしょう。しかも、最近のビジネス理論は足が速く、その賞味期限はどんどん短くなっています。リーダー論は、お笑い芸人の一発芸と構造上大差ないと思います。こちらも賞味期限は恐ろしく短い、、、、
5.誰でもリーダーになれる、とくに才能は必要ない、論
これは、睡眠学習と同じ理論です。
優れたリーダーとはこういう結果をもたらす人だ、という事象の説明は出来ても、「こういう人なら優れたリーダーになれる」とか、「こうすれば優れたリーダーになれる」というのは半年か1年程度しか維持できない理論に堕しがちです。どんなに優れた人でも、いつも期待される結果が出せるわけでもないのです。このことは、この数年でアメリカという国が見事に例証してくれました。数年前に某有名病院のリーダーシップ開発コースに参加したのですが、その時のシラバスは今読み返すと、なんともカビの生えた、バブル時代のアメリカ価値観の象徴に見えて、いささかもの悲しくすら見えます。
世界で最も優れたリーダーと見なされているアメリカのオバマ大統領。彼も必ず、いつかバッシングされる日が来ます。持ち上げてたたき落とすのは、メディアとその周辺の常套手段だからです。これはトスされたバレーボールが必ず地面にはたき落とされ、たたきつけられるくらい、間違いのない末路です。
もう一つ、これも分かっていることがあります。それは、日本には優れたリーダーが非常に少ない、ということです(優れたプレイヤーが多いにも関わらず、、、いや、多いが故にというべきか)。日本の場合、むしろ上に上がればあがるほどダメになっていくパターンが多い。このことは、いちいち例証しなくても、ぐるりと周りを見渡してみれば、すぐ分かる。
日本型リーダー論もだめ、アメリカもダメ、となり、この先リーダー論はどこへ行くのか。たぶん、いろいろなモデルがこれからも百花繚乱、飛び出すことでしょう。女性週刊誌で毎週のように新しいダイエット法が紹介されるように。毎週新しい方法が飛び出すということは、「これだ」という良い方法が皆無だ、ということなのですが。
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