舛添大臣の専門家チームの会合に東大の畠山先生、自治医の森澤先生、感染研の森兼先生と出席しました。そこでいろいろ話し合ったのですが、メディアの前で読み上げたのが以下の原稿です。全部は紹介されないと思うので、こちらに出しておきます。
新型インフルエンザウイルス対策から、新型インフルエンザ対策へ
神戸市はあの震災を乗り越えたタフな街です。その神戸市があっぷあっぷになって喘いでいます。
インフルエンザは、ほかの病気同様、重症なものと軽症なものがあります。重症なインフルエンザは由々しき事態で全力をでの医療が必要になります。軽症者は自宅で安静にしていれば自然に治ります。本来、インフルエンザは自然に治る病気なのです。
したがって、新型インフルエンザに対して、その重症度を無視して、一律の医療サービスを提供するのはいかにも理にかなっていないことです。無限の泉から医者や看護師が湧き出てくるなら話は別ですが、この日本はずっと前から医療崩壊に片足を突っ込んでいたのです。
神戸大学病院では循環器など他科の先生もご協力いただき、全力でこの問題に取り組んでいます。しかし、鼻水、のどいただけで自然に治る病気に入れ込み、命にかかわる心筋梗塞の治療がおざなりになるのは、本末転倒です。
インフルエンザとは本来、病人/患者からアプローチすべきものです。世界の専門家はすでに気道感染症として病原体から切らないまっとうなアプローチをしています。RSウイルスもコロナウイルスもインフルエンザウイルスも原則的なアプローチは同じなのです。
日本は古来病原体からのみ感染症を扱っていました。感染症法がその象徴です。しかし、同じ病原体でも患者によってアプローチは異なるのです。患者中心の医療とはそういうことなのです。「患者中心」とは、単なるスローガンではないのです。
我々日本の医療者も、すぐに病原体探し、まずは検査という病原体中心の医療を行ってきました。それを真摯に反省しなくてはなりません。行政だけがけしからん、と主張したいのではないのです。しかし、この危機を乗り越えるとき、指定感染症の規制が現場を苦しめていることもまた事実です。
検査、治療、入院/外来サービスの提供は患者の状態から決定されるべきです。病原体だけがそれを規定してはいけません。臨床現場とはもっと柔軟でしなやかなものです。
H5N1の致死的なインフルエンザが消えてなくなった訳ではありません。1918年のパンデミックも第一波は軽症でしたが、夏に消えて冬に戻ってきました。もし、このような真に恐ろしい感染症が神戸にやってきたら、我々はぶっ倒れてしまうでしょう。
我々も全力でがんばります。この国とそこに住む人たちのために全力を尽くします。ですから、ぜひ我々が道半ばでダウンしてしまわないよう、皆様のお知恵とお力をお貸しください。
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