JAMAに初めてEBMということばが紹介されたのは1991年、その翌年に特集論文が組まれています。125周年を迎えるJAMAが、2008年10月8日号であらためてEBMのおさらいと展望をまとめています。くしくも、日本でもEBMジャーナルが休刊となり、この領域は転換期(あるいは読み直し)を迎えているのかも知れません。
さて、国立国語研究所は、難解な医学用語を平易な用語に変えるよう提言しています。まえまえから、医師の説明が稚拙で(若い医師とは限りません)、予後、寛解、重篤、手技といった用語をポンポン使うのに違和感を感じていました。患者さんにとってはヨゴ、カンカイ、ジュウトク、シュギとほとんど外国語のように聞こえていたようです。
ただ、疑問を感じたこともあります。例えば、EBM。ほとんどの患者さんはこの用語を知らないので、「使わないように」とこの提言は言っています。しかし、逆の側面もあるかな、と思います。
このような「コンセプトそのものを示す用語」はむしろばんばん宣伝して広げていくべきではないか、と。米国ではEBMは一般にも広く広がり、ニューヨークタイムズは2001年にこれをその年のベストアイディアの一つに紹介したんだそうです(上のJAMAの論文より)。EBMの最大の功績は、医師の直感とか経験とか病態生理学的な理屈が(全然ではないものの、思ったよりも)役に立たない、と明示した点でした。だから、このようなコンセプトは患者サイドにどんどん広げていくべきだと思うのです。4人のタレントでやった実験で何とか言う食べ物が健康に良い、みたいなエセ科学番組を減らすためにも、これは重要だと思います。EBMを専門家の間での秘宝にしまい込んではいけないと思います。
近年、製薬メーカーや学会で、エビデンスそのものを権威にするなんだかよく分からない現象も起きています。これは国内外で起きています。私は、EBMのキモは「エビデンスの質」や「バイアスの排除」そのものではなく、情報の明示化、開示にあると思っています。エビデンスレベル、というコンセプトは、「EBMはRCTだけではない」といっておきながら、「RCTではないのでレベルIII」と同時に言うごまかし(ダブルスタンダード)を生んでしまいました。どんなにがんばっても作り手、編集者、そして論文の読み手のバイアスを排除するのは「原理的に」不可能だということも分かりました。そういう人間の恣意性は排除するのではなく、明示することだけが、EBMの周りにある、うさんくささを排除するのに有効なのだと感じています。
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