以前、呼吸器学会の院内肺炎ガイドラインとCRPの話をしました。これについて呼吸器学会に先日お送りした文書が以下のものです。御参考までに。
日本呼吸器学会呼吸器感染症に関するガイドライン作成委員会担当者様
平素より大変お世話になっております。この度は、成人院内肺炎診療ガイドライン作成・出版、おめでとうございます。日本の臨床現場で極めて頻度の高い院内肺炎ですが、明確な診療指針が提示されたのは幸いと存じます。また、ポケット版を無償で現場に配布されるというご判断については前回の市中肺炎ガイドライン同様、大変効果的かつ戦略的で、貴会がお示しになっている学術団体としての先取の姿勢と正義感を強く感じ入った次第に存じます。当院でも既に多くの医師がこのガイドラインを携えております。当院での肺炎診療の質が向上するきっかけになるものと強く期待しています。
その一方で、何点か気になった部分もございます。特に注目いたしましたのは今回の重症度分類です。特にCRPをピボットにしたアルゴリズムは世界でも例を見ないものかと思いますので、慎重にガイドラインを拝読いたしました。気がついた点を申し上げさせてください。
まず、CRPと肺炎の予後を示すに至った、バックグラウンドの論文(Watanabe et al. Internal Medicine 2008;47:245-を読んで気がついた点を申し上げます。
1.本スタディーは日本の院内肺炎の臨床像とファーストラインと銘打たれているカルバペネムの臨床効果を調べた前向き観察研究で、254の国内の病院が参加している。CRPと治療効果の関係はOdds ratioで示されているが、死亡率とCRPの関わりについては論文そのものは詳細に扱っておらず、ガイドラインに示された「診断時CRP別の予後」(表II-4)も掲載されていない。
2.多施設観察研究であるが、院内肺炎の診断基準は曖昧で、施設によるばらつきがある可能性が残っている。特に、院内肺炎の診断基準の中に「CRPの上昇」が入っているが、それがどのように診断に寄与しているかは明記されていない。このため、施設によってはCRPの上昇がない、あるいは十分な上昇がない症例が除外されてしまっている可能性もあり、セレクションバイアスの土壌となっている。
3.Methodsによれば、肺炎の治療は診断後「3日以内に行って」とされている。しかし、すでに院内肺炎の予後が適切な抗菌薬をできるだけ早く投与する、というコンセンサスが得られており、患者予後に抗菌薬投与開始の遅れが寄与している可能性がある。
4.エンロールされた患者の95%ではCRPが計測されているが、呼吸数の計測は55.4%のケースでしか行われておらず(呼吸器学会の重症度分類に記載があるにもかかわらず)、PaO2に至っては34.9%しか計測されていなかった。
5.原因菌の同定基準が曖昧で、呼吸器検体でのMiller-JonesやGeckler分類の記載もなかった。同定された菌が本当に感染症の原因であったのかどうか妥当性の問題があり、施設間の再現性にも疑問が残るものであった。
6.ほとんどのケースで日本の保険診療上の抗菌薬投与量が用いられていた。pharmacokinetics/pharmacodynamicsの観点から言うと添付文書上の投与量が妥当であるかには疑問が残り、これが患者予後に影響を与えていた可能性がある。
6.multiple logistic regression analysisで解析する際、A-DROPなどで示されている血圧などが変数に入っていない。他方、「脱水が-,±,+」という曖昧な変数もあり、これも施設間、研究者間でばらつきが生じる原因となる可能性がある。
特に問題となるのは、本研究が多施設観察研究であり、多くのバイアスの入り込む余地があるという点です。特にA-DROPやその他の市中肺炎の重症度分類では採用されていた血圧、意識状態といった項目が分析項目に加えられておらず、重症度の判定妥当性に疑問を残します。事実、WatanabeらもDiscussionの中で重症度分類の妥当性については今後の研究を要する旨、きちんと議論しています。
では、このようなバイアスがCRPと予後の関係に影響を与える可能性はあるでしょうか。私はあると考えます。
多くのケースで呼吸数やPaO2を計測しておらず、血圧や意識状態が判定のパラメターになっていない場合、どういう仮説が生じるでしょうか。それは、診断の遅れだと私は思います。
初診時にはCRPが上がっていないのに、数日たって初めてCRPが上昇し出す。臨床医であればしばしば観察する現象です。さて、観察研究におけるCRPが高かったという事象は何を意味するのでしょうか。本当にそれが予後決定因子だから高いのでしょうか。
むしろ、「診断が遅れてしまい、他のパラメターでは肺炎を示していたのにCRPが上昇するまで見逃されていた院内肺炎」のケースが混入している可能性はないでしょうか。その場合、CRPの高かった肺炎のグループ(と思われたケース)は、実は単に診断・治療が遅れて進行してしまった肺炎であったというだけの話であった。そのような仮説は成り立たないでしょうか。もちろん、呼吸器学会の先生が最初からご覧になっているケースであればこのような因果の逆転は有ろうはずもないでしょうが、紹介されたケースであれば、充分あり得る話だと思います。
もちろん、全てのケースがそうであったと主張するつもりはございません。しかし、多施設観察研究である以上、交絡因子の検証は極めて困難です。現段階で私の仮説を実証するわけではありませんが、逆に反証する確たる根拠にも乏しいように考えます。
では、このガイドラインの普及でどのような問題が生じる可能性があるでしょう。「CRPが低い」という根拠で軽症と判断されてしまうリスクがあるかもしれません。特に現在の日本の診療現場ではまずCRPありき、という診療姿勢をおとりのドクターが少なくなく、呼吸数などの他のパラメターはなおざりにされているのが現状です。Watanabe et al. のスタディーもそれを証明しています。
すでに申し上げましたように、CRPをアルゴリズムに入れて院内肺炎を層別化する、というのは国際的にも画期的なプランです。しかし、その根拠が
1.たった一つのスタディーを根拠にしており、追試が存在しないこと。
2.それが多施設の観察研究であり、方法論的には多くの問題を抱えていたこと
3.さらに、問題となるデータそのものは論文では議論されておらず、ガイドラインに掲載されていた部分はunpublished dataであること(すなわち、peer reviewがされていないこと)
という点で問題です。現代の診療ガイドラインは必ずエビデンスレベルを明記するのが常識になってきていますが、今回の重症度分類のエビデンスレベルは(記載はありませんでしたが)高くはない、と判断するべきではないでしょうか。今回のデータはより厳密な条件下で再検証する必要があるように思います。
もちろん、今回の学会ガイドラインははじめにCRPありき、という姿勢は取っていません。最初に患者の基礎疾患やバイタルサイン、年齢で階層化し、「重症かそうでないか」はCRPやレントゲン所見で判断していないアルゴリズムになっています。そこは高く評価できる部分だと思います。CRPが寄与するのはあくまで軽症か中等症か、という部分となりますから、方向性としては妥当なものだと感じました。
呼吸器学会会員でもない身分で、いろいろ出過ぎたことを申しまして大変申し訳ございません。今後も貴会の積極的な診療改革の姿勢と正しい感染症診療の普及に敬意をはらい、益々のご発展とご活躍を心からお祈り申し上げる次第でございます。ご多忙の折、お時間をおとりいただきありがとうございました。
岩田健太郎
神戸大学大学院医学研究科微生物感染症学講座感染治療学分野
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