現在、故あって日本の臨床感染症界の歴史を調べ直しています。過去の新聞報道を読み直すと、私たちがなぜ今このような立ち位置にいるのか、いろいろ考えさせられます。いくつかご紹介しましょう。
1983/07/01, 日本経済新聞 朝刊
「抗生物質のトップメーカー」塩野義製薬がシオマリンで収益を伸ばしている、という記事。
「八千六百億円(生産額全体の二二%、五十七年)と医薬品の最大マーケットで、かつ最大の激戦区でもある抗生物質の分野で、武田薬品工業、藤沢薬など競争相手を抑え、引き続き先頭を走る自信が吉利社長の強気の発言の背景にあるようだ。現在、同社は抗生物質だけで月商十億円以上の大型商品を五品目もかかえており、“抗生物質王国”と呼ばれているのもうなずけよう」
という感じです。今だったらこんなコメントをすれば大ブーイングで株価が下がってしまいそうです。この時代、抗生物質は医薬品業界の牽引役であり、使えば使うほどよい、という流れを作ってしまいました。
そんな中、
1981/12/29, 日本経済新聞 朝刊
藤沢薬品工業(現アステラス製薬)などが2グラム入りの第3世代セファロスポリン(記事には説明無し)を申請していたのですが、厚生省が「2gにすると高額」という理由で難色を示し、販売中止になったという記事。日本独特の少量投与の流れができた理由の一つが、ここに垣間見ることが出来ます。
「厚生省はその理由として(1)大容量品の標準品に対する薬価倍率がこれまで日本では欧米諸国に比べ高かった(2)容量の多い規格品が大量に出回ると標準品で間に合う場合にも気軽に大容量品が使われ、水増し請求に使われる恐れがある――などを挙げている」
この役所の安易な決定が、その後数十年にわたる日本感染症界に大きな禍根を残したのでした。薬価を効能より重要視するような判断が(新聞報道されても平気なほどに)当然視されていた、黄金の80年代、という感じです。
1981/10/29, 日本経済新聞 夕刊
日本病院薬剤師会常務理事 国田初男氏の論説。一部、紹介します。みなさん、口あんぐりの準備はよろしいですか。
「開業医や病院で最もたくさん使っているのが「抗生物質」だ。日本では年間約八千億円分をつくっている。抗生物質は、細菌感染症の治療薬。カゼというのはそもそも細菌より下等な生物であるウイルスが原因でかかるのだが、カゼがちょっとでもこじれた状態になると、それを引き金に気管支炎や肺炎など細菌感染症を併発する。抗生物質はこうした症状を抑える働きがある。
ところで人間の体内にはもともと良い細菌と悪い細菌がバランスよく共存していることが明らかになっている。しかしなんらかのきっかけで体が弱ると、このバランスが崩れて人体に害になる細菌が異常に増えてしまう。こうした“悪い細菌”の増殖を抑えるのも抗生物質の重要な役割。そこでたとえば手術後の患者などにも抗生物質をたくさん用いる」
うーん、ウイルスって細菌より下等だったのか、、、ってこういうディオちっくな部分が突っ込みどころなのではありませんよ。黄金の80年代ならぬ、日本暗黒の80年代、、、、バブル崩壊後の失われたうん10年よろしく、日本がこの時代に失ったものはあまりに大きかったのでした。
今まで死ぬ病気だった重症溶連菌感染症が劇的に治った!と先に紹介したアメリカ初のペニシリン使用を目撃した先生はインタビューでそのときの感動を伝えてくれます。もちろん、抗菌薬は人類にとって福音だったのです。しかし、なぜ、こんなことに。考察は続きます。
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