なかなか難しくてページが進まなかったですが、ふと勢いがついて一気に読破してしまった構造と力。でも難しいっす。スピード感あふれる内容なので、気にせずその場は読み通して、あとでゆっくり各論に行けば入門書としてのこの本はOKかなあ、、、、、
生協で衝動買いした本です。うーん、微妙だなあ。
そのまなざしと洞察と、深みのある文章ではありますが、、、、、妥当性の検証の方法論が問題なのだと思いました。仮説検証と仮説生成の混乱も、問題の根っこにあるように思います。学生時代に感動したスーザン・ソンタグの本も、最近見直したときに同じような瑕疵を感じたものでした。
良くも悪くもみすず書房的、そして19世紀的、という感想を持ちました。
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流れの中で、本書を手にとったけれど、ちょっとこれはイマイチでした。こちらの感受性の鈍さのせいかもしれません。
出版されたのが1998年と古いことも影響しているでしょう。患者が阻害されている、というルサンチマンも今の目から見ると感覚としては古さを感じます(なくなってはいませんが)。臨床現場から阻害された「疾患」という実在物をみず、そのことを構造主義的にとらえる、というのは分かるのですが、それにしてもこの本は冗長に過ぎます。エッセイ集のような構成にも問題があるでしょうし、あとはやはりオールマイティー性には感覚的なはてな感がでてきます。実際の現場では物語っても上手くいかないことも多々ありますが、そういう制限を明示しておかないと、科学性や論理性が担保できないし、教条的、お題目的、きれい事的、そして実話という名のファンタジーにどうしてもなってしまいます。
ならば、本書のなかに示唆されていたようにむしろフィッツジェラルドやトルストイやドストエフスキーや大江健三郎や、村上春樹やチャンドラーやサリンジャーやプルーストを素直に読んだ方がNBMの体得には役に立つような気すらします。質の高いフィクションほどリアリティーの高い読み物はないのだから。
投稿情報: 15:40 カテゴリー: 本、映画、その他 | 個別ページ | コメント (0) | トラックバック (0)
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西條剛央さん、作業療法士の八杉基史さんとの対談が載っています。よかったら読んでみてください。
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EBMとNBMの本質から病の実在性まで、極めて分かりやすく書いた本。それゆえにすごい。こんなに簡単には普通、かけない。
こちらも平易な文章だが、がん診療にまつわる本質的な問題を明解にした本です。これもお奨めです。
投稿情報: 14:35 カテゴリー: 本、映画、その他 | 個別ページ | コメント (0) | トラックバック (0)
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これは突き動かされ、魂を揺り動かされる本でした。
哲学本の解説書では、よく「いやいや、この人はそんなことは言っていない」という引用元の真意の正当性、「正しさ」が論争の元となります。ニーチェはこんなこといってない、サルトルはそんなことは考えていない、フッサールの真意はそこにはない、、、、みたいな。こうした正しさ論争は、本人なしでやってもいつまで経っても解決しませんし、たぶん、例え本人が目の前にいても解決しないでしょう。「俺はそんなつもりで書いたんじゃない」とたとえ本人が主張したとしても、それが正当な言説であるかは証明しようがないからです。
というわけで、ある哲学者や哲学書の解説本や解釈本は、その本の内容そのものを読み込んで吟味した方がよっぽど理にかなっていると思います。「この本は正しく○○を説明しているか」ではなく、この本がいっているこれ、これがこころをえぐって価値を揺さぶるのか、、、、そういう意味では本書はものすごくえぐりました。現象学を「お勉強」の対象とせず、自らの問題として突き詰めていく、という態度も納得しました。だから、現象学的態度を取ってもフッサールに納得しない、というレヴィナスの言説もあり、なのだと。
倫理という語り得ないものを議論するとき、倫理性と主体性は「私はあなたより先に、あなた以上に有責である」という宣言によってはじめて基礎づけられる、という一文が倫理を非常にリアリティのある具体的な概念に仕立て上げます。そして、その宣言をするのは私一人、ただひとりなのだと。
投稿情報: 17:31 カテゴリー: 本、映画、その他 | 個別ページ | コメント (0) | トラックバック (0)
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今年度はやっつけ仕事だった学生教育ですが、来年度(来週)からは本腰を入れてやらなければ。GIOやSBOとか計画書に書かされるのですが、こういうお題目が役に立った試しはないです。研修医のEPOCも全然役に立たないので、神戸大では廃止したい、と提案しているところです。
では、どんなものが役に立つかというと、例えばこんな本です。Saint-Francesの学生実習用の教科書で、入院、外来用があります。とてもいいことがたくさん書いてある。
Clinical medicine is not about how much you know. Instead, it is about
1. Methodically applying what you ko know;
2. Recognizing when you do not know; and
3. Knowing how to find the knowledge you need.
Recognize that human interactions are complex. Expect complexity.
Tacit knowledge may limit the ability of your superiors to teach you. Tacit knowledge means knowing how to perform a task but not remembering how you learned it. Once a skill has become tacit, it is difficult to teach it to students. This is why experts in a topic can be the worst teachers and why some of your best attendings may find it hard to explain to you how they do the great things they do. This book provides insight into what has made your great role models great.
We are what we repeatedly do. Excellence then is not an act, but a habit.
Medicine requires teamwork. Each team member has a role. Roles are ultimately established by the team.
文章もとても美しいですね。
投稿情報: 10:39 カテゴリー: 本、映画、その他 | 個別ページ | コメント (0) | トラックバック (0)
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青木洋介先生に招かれ、佐賀に来ています。
昔は「対談」というジャンルをあまり好ましく思っていませんでした。仲良し意見の合う同士がしゃんしゃんで話し合ってもなあ、と思っていたのです。しかし、ダイアログの中には書き言葉にはない面白みがあること、感染症近代史を調べる上で、過去の学術誌の対談が意外に役に立つことなど、最近はすっかり対談を見直しています。読みやすいしね。
前作の翻訳夜話は、何年も前に一所懸命に読みました。今回はそのときほどの感動は得られなかったですが、村上春樹の翻訳に対する心掛けやこだわりは伝わります。柴田元幸のCall me Holdenがとても面白かったのが、お得感を増しています。
内田樹と三砂ちづるの対談本。従来の価値の揺さぶりという意味では面白かったが、お互いが言いたいことを言い合っているので対談としてはやや噛み合っていないかも。
私の好きな春日武彦と内田樹の対談。が、ゆえにすでに知っている内容が多すぎて、得られる新情報はなかったのが、皮肉。
投稿情報: 19:15 カテゴリー: 本、映画、その他 | 個別ページ | コメント (0) | トラックバック (0)
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すべて、という大胆なタイトルですが。島根大学の田邊教授たちの企画です。私もたくさん書きましたが、筆が滑って重要なミスを一つ犯してしまいました。それが何かは、読んで見つけてみてください。
投稿情報: 12:01 カテゴリー: 本、映画、その他 | 個別ページ | コメント (0) | トラックバック (0)
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結論から言うと、これは本当に名著だと思います。ただし、不遜な言い方を覚悟を決めていってしてしまうと、これを読んでもその意味するところを理解する読者は少数派でしょう。amazonでも辛い批評が多いですが、それはある意味当然のように思いました。
水村美苗さんは、日本語と英語、日本語と外国語、日本文学について突き詰めて考えつめた方です。そのような追体験なしに本書を読んでも問題意識は共有できないでしょうし、単にテクニカルに言語学やその周辺を研究している「プロ」であれば、なおのこと分からないでしょう。ちょうど、医者の多くが「病気とは何か」と突き詰めて考えたことがない故に、表層的な病気の認識しかしていないのと同じように。
多くの読者は、おそらくは本書を通俗的な懐古主義、「昔は良かった」的なエッセイとしか読まないでしょう。「ここは日本だ、アメリカじゃない」という狭量な日本唯一単独主義者にも嫌悪されるでしょう。
逆に、ここまで突き詰めた、日本語と英語、外国語、文学について突き詰めた、そういう追体験があると、本書の一文一文は魂の奥底まで突き刺さるような驚異的な文章の集まりになります。
もっとも、私個人は日本語や日本文学には絶望していません。水村さんは教育を形成する日本政府が危機感がなく、勇気がなく、頭が悪く、無策であり、学校教育における国語が絶望的な状況にあると嘆きます。私もまったく同感で、彼らは危機感を欠き、勇気がなく、頭も悪く、無策です。
でも、国語教育が日本語や文学の質を担保するわけではないと私は感じています。彼らを頼りにしない、という覚悟を決めれば、まだ日本語は亡びない可能性をもっていると。それを守るのは私自身、自分自身なのだと。
自分の感受性くらい
自分で守れ
ばかものよ
茨木のり子の言葉をこんな時に思い出すのでした。もちろん、この話は文学だけには留まらないのですが、、、、、
投稿情報: 09:08 カテゴリー: 本、映画、その他 | 個別ページ | コメント (0) | トラックバック (0)
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