本屋に行くと、こうするだけで健康になれる、若返る、長寿になれる、ガンにならないと喧伝する本が沢山並んでいます。このことについて考えて見たいと思います。検討のために、例として根来秀行著の「身体革命ー世界最先端のアンチエイジングの法則」を例にとります。
本書は、アンチエイジングに関する一般向けの本です。
まず、最近の研究で100歳以上の長寿者で産生されているデヒドロエピアンドロステロン(DHEA)。これをアンチエイジング・ホルモンとして紹介しています(18ページ)。「適切な運動、睡眠、食事を組み合わせることによって私たち自身の体内でたくさん作り出すことができます」とあります。さらに、時差ボケなどに使われるメラトニンもアンチエイジング・ホルモンとして紹介されています。アンチエイジング・ホルモンを高めるような生活習慣が若さと健康の秘訣と本書の筆者は主張します。
次に、「老化のカギを握るのはミトコンドリア、フリーラジカル、ホルモン、免疫系」(24ページ)と説明し、ミトコンドリアが老化を引き起こすフリーラジカルを放出し、これが有害物質となって細胞機能の低下や減少に寄与する。細胞機能の低下や現症があると、神経内分泌機能や免疫機能の低下をもたらし、老化を早めてしまうというのが本書の提示するセオリーです。そして、これに抗うために
1.ミトコンドリアを大切にする。
2.フリーラジカルの細胞酸化を防ぐ
3.(その結果)ホルモン・免疫系などの生体機能の低下を防ぐ
ことを提唱しています。ミトコンドリアを大切にするために過激な運動を避けたり、腹八分目の食事(カロリーリストリクション、本書では八分目というより7割程度と説明しています)を推奨します。そして、本書全体を通してアンチエイジングに効果があるとされる食事、睡眠、生活習慣の推奨を行うのです。
全体的に、本書で主張している規則正しいバランスのとれた食事、睡眠、運動といったコンセプトにはぼくも特に異論はありません。自分の患者さんにも同じように申し上げると思います。「一般的な健康」という観点からは、どれもお奨めだと思います。
しかし、科学は各論的に議論しなければなりません。本書が「健康一般のためにバランスのとれた食事、睡眠、運動は大切ですよ」的な一般論を述べているのならば、ぼくは納得理解します。しかし、「ハーバード大学に籍を置く世界最先端の医学研究者が実践する「若さを保つ健康術」」(14ページ)となると、ちょっと誇大広告な感じがします。科学的に正しい、という印象操作をそこに感じ取ります。「あなたに素晴らしい身体革命をもたらします。(中略)近い将来、今よりぐっと若返っている自分に気づくはずです。それは将来的にあなたの健康寿命を延ばすことにもつながります」という喧伝文句は、ちょっと言い過ぎだと思うのです。「勉強をがんばれば東大に入学するチャンスがありますよ」的なジェネラル・ステートメントと、「私の○○勉強法で東大にはいれますよ」は同義ではないのです。
その「言い過ぎ」な点について考えてみたいと思います。
さて、本書によると、カロリーリストリクションで「大幅に寿命が延びる」(43ページ)ことが判明したのは、アカゲザル、ラット、ショウジョウバエ、ミジンコなどの研究によるのだとか。そして、人の集団でもカロリーリストリクションと寿命との関係を見る研究が進行中なのだそうです。
しかし、進行中ということは結果がまだ出ていないということです。その結果が出るのは「まだ先」と本書には書かれています。本書出版が2009年、手元にあるのが2011年10月の第三刷だそうなので、その時点ではまだ結果が出ていないと考えられます。医学系の論文データベース、Pubmedでcalorie restrictionのヒトでの研究を検索しましたが(2012年4月9日)、ヒットした論文では「寿命が延びる」ことを示したものは見つかりませんでした。また、calorie restriction, Hideyuki Negoroで検索したら、ヒットした論文はゼロでした。で、Hideyuki Negoroだけで検索したら11の論文が見つかりましたが、この中にヒトあるいはその他の動物の寿命を延ばすことに(直接)関連した論文はありませんでした。
カロリーリストリクションが人の寿命を延ばすとは証明されていない。僕ら的な言葉で言うと、「エビデンスには乏しい」のです。
確かに、動物実験のカロリーリストリクションについて、例えばラットやアカゲザルではカロリーリストリクションによる死亡率低下を示した研究があるようです。
Colman RJ, Anderson RM, Johnson SC, Kastman EK, Kosmatka KJ, Beasley TM, et al. Caloric restriction delays disease onset and mortality in rhesus monkeys. Science. 2009 Jul;325(5937):201–4.
Sun L, Sadighi Akha AA, Miller RA, Harper JM. Life-Span Extension in Mice by Preweaning Food Restriction and by Methionine Restriction in Middle Age. J Gerontol A Biol Sci Med Sci. 2009 Jul;64A(7):711–22.
しかし、人間の食事カロリーを操作して腹八分目とか腹七分目という食事がアンチエイジング(あるいは長寿)に有効という研究はなされていません。動物に起きることが人間に起きるとは限りません。そうではないことも多いのです。
いや、むしろこのような過度な主張には懐疑的な見解もあり、高齢者がカロリーリストリクションを行うのは実験的で危険ですらありえると警鐘を鳴らす研究者もいます。
Morley JE, Chahla E, Alkaade S. Antiaging, longevity and calorie restriction. Curr Opin Clin Nutr Metab Care. 2010 Jan;13(1):40–5.
性ホルモン、DHEAについての言及も微妙です。長寿の方の特徴として、血中DHEAが高い、低体温である、血中インスリン値が低いという健康調査の特長があったことを紹介しています(47ページ)。
しかし、長寿の方のDHEAが高いことと、DHEAを摂取すれば長寿になるということは同義ではありません。DHEAは長寿の結果であり、その原因とは限らないからです。長寿の方はしわが多いですが、しわを増やせば長寿になるわけではないのと同じ論理です。
「アメリカではDHEAを体内投与する抗加齢治療も盛んに行なわれており、それなりの効果が得られつつあり、DHEAはサプリメントとして市販もされています」(49ページ)
とありますが、この文章もとても微妙です。アメリカで「盛んに行なわれ」「市販もされ」というのは効果の証明ではなく、イメージしか伝えていません(そもそも、アメリカ人より日本人のほうがずっと長命ですし)。「それなりの効果が得られつつあり」は日本語として意味が分かりにくいです(効果は得られつつあるというのは、「得られていない」という意味ではないでしょうか)。
内分泌の教科書、Williams Textbook of Endocrinology (12版)にも、性ホルモン、DHEA, GH, ghrelinアゴニストへの高齢者への効果は限定的で、しばしば副作用も起きていると指摘しています(27章)。筆者が主張するようなアンチエイジング的手法は科学的に証明され、学的なコンセンサスを得たオーセンティックな手法とはいえないのです。
本書ではマクガバン報告を取り上げ、世界一理想的な食生活を行っている国は日本である。それも元禄時代以前の和食であると紹介しています(88ページ)。それに対して、アメリカ人の平均余命は1960年代に非常に悪いレベルであったとします。近年、日本では食の欧米化が進み、肉の消費量が増え、野菜消費量が落ちたため、がん、心疾患、脳血管障害の死亡率は年々上昇することになったと指摘します(90ページ)。そして、これに対して70年代のマクガバン報告以来アメリカ人の食生活は改善され、生活習慣病が改善されつつあるというのです。
この辺も主張も微妙だなと思います。例えば「改善されつつ」という表現です。マクガバン報告は30年以上前の報告ですから、改善されたのであればそういう成果が出ているはずですが、後述するようにそのようなすっきりした事実ではないのです。2005年のデータでは日本人の平均余命は世界一で、アメリカは29位でした(UNDP, 人間開発報告書)。一方、日本人の食生活は確かに欧米化しましたが、現在でも日本人は総じて長命なのです。グラフを見れば、アメリカも日本も並行して平均余命を延ばしていることが分かります。1950年の日本人の平均余命はまだ58.0年でした。それ以前はもっと短かったのです。元禄時代の食生活で健康、長寿というのは必ずしも事実ではありません。そういう一面はあると思いますが、ここでも「言い過ぎ」の問題が生じています。
http://www2.ttcn.ne.jp/honkawa/1620.html
http://www.mhlw.go.jp/toukei/saikin/hw/life/20th/ss02.html
http://www.mhlw.go.jp/toukei/saikin/hw/life/20th/ss01.html
厚労省のデータを見ても、本書で「増加している」とされる日本人の脳血管障害はむしろ減少し続けています。これは「伝統的な日本食」の最大の弱点である塩分摂取が近年少なくなっているためと予想されます。心疾患も横ばいから減少傾向、悪性新生物(いわゆるガン)の死亡率は増え続けていますが、これはむしろ長寿がもたらしたもので、長生きをして高齢化が進むと、最終的にガンの患者が増えるのは当然です。
http://www.mhlw.go.jp/toukei/saikin/hw/jinkou/geppo/nengai06/kekka3.html
確かに、本書が指摘するように、アメリカの心疾患による死亡が減っているのも事実です。
http://www.cdc.gov/nchs/data/databriefs/db88.htm
ただし、アメリカでも糖尿病のような生活習慣病は増加しています。それから、アメリカの宿痾的問題とされる肥満は小児、大人ともに増え続けています。高血圧は75歳以上の高齢者で減少傾向ですが、それ以外の年齢層では増加し続けています。
ちなみに、アメリカの心疾患の有病率(病気をもつヒト)の割合はそれほど変化していません。有病率が変わっていないのに心疾患の死亡率が減っているのは、食事の改善による発症予防というよりは、むしろ治療の進歩に寄与するところが大きいのではないでしょうか(もちろん、治療には心疾患発症後の食事指導も含まれますが)。
http://www.cdc.gov/nchs/hus/healthrisk.htm
ぼくは本書の内容が全部デタラメ、と主張したいわけではありません。例えば、睡眠は長過ぎず、短過ぎないほうが良いという主張(106ページ)は2010年のメタ分析という方法で検証されています。たしかに人の死亡率と睡眠時間は関係しており、長過ぎても短過ぎてもよくないことさ示唆されました。
Sun L, Sadighi Akha AA, Miller RA, Harper JM. Life-Span Extension in Mice by Preweaning Food Restriction and by Methionine Restriction in Middle Age. J Gerontol A Biol Sci Med Sci. 2009 Jul;64A(7):711–22.
次に、フリーラジカルを防ぐ「抗酸化作用のある食べ物」です。これについてはたくさん研究があるようです。しかし、臨床的な効果はまちまちです。
228ページでは、ハーバード大学の研究グループが1993年にビタミンEのサプリメントを採っていた場合、心疾患罹患率が43%も低下していたと報告しています。残念ながら本書の著者は研究のもと論文名を明示していないので、これがどの研究なのかははっきりしません。259ページにリスト化されている参考文献にも必ずしも呼応していないようです。
探してみると、ハーバード系の研究者が1993年に発表したものがありました。本書で紹介された研究は、このことではないかと想像されます。
ただ、これは観察研究でした。観察研究というのは、交絡因子の可能性は否定できないのが問題です。「ビタミンEを摂っている人に心疾患が少ない」というのと「ビタミンEを摂っていたから心疾患が少なかった」は同義ではありません。前者は前後関係、後者は因果関係を表現しています。もしかしたら、ビタミンEを多くとっている人は他にも重要な健康法を行っていたかもしれません。この研究は医療従事者を集めてビタミンEをとっている人とそうでない人を比較しているのですが、そもそもビタミン摂取が多い人は他にもいろいろ健康に気を遣っているのではないか、というツッコミ可能性が「交絡因子」の問題です。だから、この研究の著者達も「さらなる研究が必要である」と自らの研究の問題点を認めています。
Stampfer MJ, Hennekens CH, Manson JE, Colditz GA, Rosner B, Willett WC. Vitamin E consumption and the risk of coronary disease in women. N. Engl. J. Med. 1993 May;328(20):1444–9.
Rimm EB, Stampfer MJ, Ascherio A, Giovannucci E, Colditz GA, Willett WC. Vitamin E consumption and the risk of coronary heart disease in men. N. Engl. J. Med. 1993 May;328(20):1450–6.
さて、観察研究の問題点を払拭するため、21世紀になって交絡因子を排除した前向き試験が行われました。そして、その研究ではビタミンEの心疾患予防効果は示されなかったのです。また、がんの予防効果も示すことができませんでした。
Lonn E, Bosch J, Yusuf S, Sheridan P, Pogue J, Arnold JMO, et al. Effects of long-term vitamin E supplementation on cardiovascular events and cancer: a randomized controlled trial. JAMA. 2005 Mar;293(11):1338–47.
臨床データをまとめたDynamedによると、ビタミンEによる心疾患予防効果があるというエビデンスには乏しいとされています。例えば、以下の研究は女性を対象としたものですが、1993年の研究結果を否定するものになっています。
Lee IM, Cook NR, Gaziano JM et al. Vitamin E in the primary prevention of cardiovascular disease and cancer– The Women's Health Study: a randomized controlled trial.JAMA. 2005; 294:56-65.
これらの研究が発表されたのは2005年で、本書の出た2009年にはすでに周知なものになっていました。専門家である筆者がこれらの研究について知らないはずがありません。自説に都合の良いデータは強く取り上げ、自説に都合の悪い(より質の高い)研究はあえて黙殺するというのは医学者としては誠実な態度とは呼べないと思います。
前にも紹介しましたが、ビタミンA、C,Eやセレニウムといった抗酸化作用を期待される物質が死亡を減らす(つまりは長命につながる)というデータはなく、むしろ否定的であると2007年のメタ分析では示しています。
Bjelakovic G, Nikolova D, Gluud LL, Simonetti RG, Gluud C. Mortality in Randomized Trials of Antioxidant Supplements for Primary and Secondary Prevention Systematic Review and Meta-Analysis. JAMA. 2007 Feb 28;297(8):842–57.
フラボノイドのようなポリフェノールもガンの予防効果は示されていません。
Wang L, Lee I-M, Zhang SM, Blumberg JB, Buring JE, Sesso HD. Dietary intake of selected flavonols, flavones, and flavonoid-rich foods and risk of cancer in middle-aged and older women. Am. J. Clin. Nutr. 2009 Mar;89(3):905–912
以上のような話は、きちんと学術論文を吟味している医者であれば常識的な内容です。「今更何を」とお考えの方もおいででしょう。ぼくも、本書が仮説の提示(ぼくらはこういう仮説で研究をしています)という形でアンチエイジングを主張する内容でしたらとくに引っかかりはしませんでした。
ただ、日本の本屋さんで売っている「健康になるための本」にはこのように、実験室での実験データを(臨床的検討なしに、あるいは臨床的には否定されているのに)針小棒大に解釈し、あたかもそれが人間の利益に直接につながるかのような主張が多いのです。「○○で健康になれる」「がんにならないためのなんとか」的な本です。新聞、テレビといったマスメディアでも病気の治療や予防についてミスリーディングなトピックをよく取り上げていますが、その多くは動物実験レベルでのデータでしかなく、臨床応用が可能かどうかは不明確なものが多いです。これは歴史的に日本では臨床研究が軽視され、基礎研究が相対的に重く取り上げられていたのも理由の一つでしょう。しかし、医学は仮説、検証の繰り返し、演繹と帰納は両方向から検証を繰り返さなければなりません。帰納のない演繹は「トンデモ論」に陥るリスクがあるのです(麻しんワクチンで自閉症になる、みたいな)。
ぼくら医者が健康情報を提供する上で、このような針小棒大な情報が医者と患者のコミュニケーションを困難にしている大きな原因になっているとぼくは思うのです。専門家は「健康本」を「馬鹿馬鹿しい」と相手にしない傾向があります。そういう態度を大人げない、みっともないと考える人も多いようです。しかし、このような無関心(complacent)さが、一般診療における患者と医療者の対話を困難にしています。健康に関する「仮説」が絶対的な真理に転化され、不毛な対立が生じます。だから、一般の人たちに妥当な健康情報が提供されているか、検証することはとても大事だと思います。
最後に、本書ではしばしば「ハーバード大学の研究では」と筆者が所属しているというハーバードを権威付けの道具にしています。「ハーバード大学医学部の教授」である筆者(http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%A0%B9%E6%9D%A5%E7%A7%80%E8%A1%8C)はここで「医学研究、教育、臨床などに携わっている」(2ページ)とありますが、この辺の書き方も微妙だとぼくは感じています。
これは推測の域を出ていませんが、筆者はアメリカで実際に患者の診療はしていないと考えます(あくまで仮説です)。アメリカの内科専門医が登録されているABIMに筆者の名前がないからです(http://www.abim.org/)。まあ、「携わる」というのはいろいろな携わり方がありますから必ずしも虚偽のステートメントではないと思いますが(カンファレンスに参加するだけでも「携わる」でしょう)、本書のあちこちに実際に患者を診療しているような文章をさしはさんでいることもあり、ミスリーディングではあると思います(もし実際に診療されているのでしたらこの部分は謝罪、撤回しますのでご存知の方は教えてください)。このような印象操作の臭いが感じさせるのも本書の特徴です。
私も根来秀之氏の、ラジオでの一般向けの講演をきいて、大きな違和感を感じていた一人です。彼は、以前Brigham and Women's Hospital内のlabに一時期、研究員として在籍していたそうです(友人と同じラボでした)。が、アメリカの臨床のトレーニングを受けた事はなく、アメリカでのライセンスは持っていらっしゃらないと聞いています。臨床カンファレンスに出席していた事と、ラボのMDの外来を見学させてもらっていたそうですので、臨床に「携わる』とおっしゃっていると推測します。
ハーバード大学医学部の内科学の客員教授と、おっしゃっていますが、それらも、Harvard Medical Schoolのregistoryでは、見つかりません。 Visiting fellow/professorは、登録されない可能性はありますが。 同じく、Harvardの関連病院で、研究している身として、このような一般の方をミスリードするような行為は、きちんと正してほしいと、思っております。
投稿情報: Tomokokt | 2012/09/05 04:35