上昌広氏が新型コロナウイルス対策に意見している(https://www.fsight.jp/articles/-/46472)が基本的な間違いが多い。ここに指摘しておく。
1.クリニックに風邪で受診する人に対して、新型コロナウイルスを検査すればいい
上氏は国内のコロナウイルス流行状況を把握するために外来受診の風邪患者で新型コロナウイルスの検査を推奨する。これはまったく不合理な間違いだ。
まず、日本では新型コロナウイルス感染者は20人程度しか見つかっていない(2020年2月5日本項記載時)。しかも全員が武漢との疫学リンクがはっきりしている。こういうフェーズのときに極めてコモンで日本中の外来にやってくる風邪患者にコロナウイルス検査を行うのはまったく不合理だ。金銭的にも労力的にも割に合わない。しかも検査が殺到してしまうと検査結果が出るのが遅くなる。ぼくは2001年の米国の炭疽菌騒動を経験したが、病院で見つかるコモンなBacillusを全例炭疽菌同定に回してしまったがために検査室が完全にパンクしてしまった。日常診療の検査も遅れ、本当に炭疽菌感染が起きても結果が出るのはずっとあとになる。これではなんのために検査をしているのかわからない。
疫学リンクが明白なときの患者追跡の方法論は確立している。リスクのある人物の追跡を行い、発症者に検査をしていくことで感染の広がりを把握できる。想定以上の感染の広がりが確認されたら、追跡の範囲もそれに応じて広げる。一般に「リング」と呼ばれる戦略だ。
どんな専門領域にも「戦略」はあり、その戦略は過去のデータやノウハウや教訓などが蓄積されている。これまでもたくさんの新興感染症が発生し、そのたびに世界と専門家たちは新興感染症に対峙していった。場当たり的に大量の検査を行う、という戦略を採用するプロは現在はほとんどいない。また上手く行った試しはない。
ただ、注意点はある。厚労省の「症例定義」にあまりにこだわりすぎ、一種のマニュアル主義に陥ってしまうと、そこから外れた患者の発見はできなくなる。なんでもかんでも検査は間違いだが、マニュアルから外れたら絶対検査しない、もまた間違いだ。要するにEBMのベイズの定理を有効に活用すればいいだけの話で、事前確率が十分に高ければ検査の価値は高い。事前確率がとても低い患者の検査は不毛である。いつもの診療の質が、こういうときの対応の質を決めるのだ。
2.中国政府は1月21日に15名の医療従事者が感染し、うち1名は重症と発表しているのだ。医療従事者は最高レベルの感染防御をしている。それでも感染するのだから、感染力は強いと考えた方がいい。
これは上氏がデータを十分に吟味していないことから来る誤解である。この15例の院内感染のうち、14例は1人の患者から発生している(https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20200122-00000145-jij-cn&fbclid=IwAR19GDtR61JIv_fm-YfLVODKc0xttkqq0NN_bCdn16Xjtj6j4ZYmMSJSXyQ)。すわ、スーパースプレッダーか、と考えるのはやや臨床センスを欠く。何万という感染事例で孤立的な院内の広がり事例は、おそらくは感染対策の破綻、一番可能性が高いのは「診断しそこねた」可能性が高い。逆に言えば、これ以降院内での伝播は報告されていない。underreportingの可能性を加味しても、複数の国で院内感染が問題になったSARSや韓国で院内感染が問題になったMERSよりも院内の感染可能性は低い。
これはウイルスの属性だけでなく、近年の感染対策力の進歩もあろう。「感染力」とよくいわれるが、これは基本再生産数(1人の患者が何人新感染者をつくるか)のことを指す(ことが多い)。それはウイルスの属性だけではない。医療のしくみや患者の態度(マスクはしていたか、すぐに受診したか)なども加味しての「感染力」なのである。
3.感染症の重症化率を評価するのは難しい。それは不顕性感染や軽症で治ってしまう人がいるため、感染者の総数がつかめないからだ
後半は正しい。で、あるからこの新型コロナウイルスの重症化するリスクは従来考えられたほど高くはないことが容易に推察できる。積み上げられてきたデータもそれを示唆しており、特に武漢以外では死亡例が稀有なこともウイルスの重症化リスクがそれまで高くはないことを示唆している。武漢で死亡者が多いのは、おそらくは患者自体がカウントしているよりずっと多いことと、高齢者や病人といったハイリスクグループでの感染が多くなってしまったためだと推測される。
4.私は日本の感染対策の問題は、ポイントがずれていることだと思う。感染症の専門家ではない厚労省の医系技官が仕切ることに加え、日本社会が感染症対策の経験が乏しく、ノウハウを蓄積していないことが影響している。
ここは全面的に正しい。僕も上氏に賛成だ。中国や韓国にもあるCDCは早急に作る必要がある。安倍首相のリーダーシップはこういうところに使うべきだと思う。
5.空港検疫などいくらやっても新型コロナウイルスの感染者の流入は防げない。最長で2週間の潜伏期があり、多くの感染者が空港検疫を素通りするからだ。
ここも正しい。事実、これまでのところ通俗的な「水際作戦」で患者が見つかった試しはない。患者を隔離、監視する古典的な検疫(quarantine)はそれなりに有効だがそれはまた別の話だ。「水際」で患者を見つける努力そのものは無意味ではないが、それが日本での感染発生を防ぐと期待するのは完全に間違いだ。
6.(中国では)医師にかかる必要がないと判断されれば、患者は自宅で待機することになる。そして、その後の経過を、このシステムを用いて報告する。この間、在宅での勤務や作業は可能だ。では、家族はどうするか。患者は他の家族とは隔離するように指導され、多くの場合は家族が避難する。そして、患者の自宅は消毒される。非常に合理的な対応だ。一方、日本の対応は公衆衛生を錦の御旗にして、実態にそぐわない過度な規制を国民に押し付けている。
ここも正しい。ぼくが北京で診療していたのは2003-04年で最近の事情に疎いので、中国で診療するDrたちに事実関係を確認したが、どうもこのようになっているらしい。ネットも活用した遠隔診療も行われている。日本では軽症者が多いこの感染症を「指定感染症」にしてしまったせいで、入院が必要ない患者を無理やり入院させて患者の人権を損ない、多くの感染症専門家たちを無駄に疲弊させている。
7.ところが日本では、一旦感染が確認されると、2週間も隔離され、就業を禁止される。
ところが、ここで上氏の議論は混乱する。たしかに重症化する患者は少ないものの、患者数が増えれば死亡者数は増える。簡単な分数の理屈だ。感染拡大を防ぐためには2週間の隔離(この場合は自宅待機も含む)は理にかなっている。就業は禁止しなくてもよいが、通勤はありえない。事実、日本だけでなく世界中の国でコロナウイルス感染者を放置しているところはない。
8.このような患者の不安を和らげるには、実際に検査をするのがいい。検査をして、自分が感染していないことを確認すると、誰もが安心する。
さらに上氏は混乱する。彼は「コロナは軽症だから受診は必要ない」といいつつ「不安を和らげるために検査しろ」という。明らかに矛盾している。受診が必要ないのであれば、検査だった必要ないのだから。なお、PCR(遺伝子検査)はわりと間違える。偽陰性のリスクだ。よって、検査が陰性でも「安心」はできないし、もし安心しているのであればそれは間違った根拠による安心だ。感度の低いインフル迅速キット陰性で「インフルはない」と間違った説明をされている患者のいかに多いことか。これは日本医療界にはびこる「検査中心主義」の悪弊の一例なのだ。
というわけで、上氏の見解には拝聴すべき点もあるが、全体的には新興感染症対策の原則を理解せずに日本はけしからん、と言っているだけのように僕には思える。たしかに、日本もいろいろ間違っている。コロナウイルス感染の指定感染症指定は解除すべきだし、無症状の方にPCRをやったのも勇み足だった。検査拒否の方の存在を公表したのもまずかった(そんなこと公にする理由はない。健康監視だけちゃんとやればいいのだから)。しかし、このようなクライシス時に失敗ゼロの対策を希求するのが無理筋だし、また失敗ゼロを前提にしてしまうとどうせ官僚たちは隠蔽に走る。そういう意味でも現行の日本のコロナ対策は概ね上手くいっていると評価すべきだ。もっとも、それはそれとして、CDCは作って、感染対策の主役はプロに委ねるべきなのだけれど。
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