2019年夏の高校野球岩手大会決勝で、大船渡高校の絶対的エースと目された佐々木朗希投手が監督の指示で登板を回避した。大船渡高校は結局決勝で大敗し、甲子園出場は叶わなかった。
TBS系のテレビ番組、「サンデーモーニング」で「喝」とか「あっぱれ」とスポーツ界を論評している元プロ野球選手の張本勲氏は「絶対、投げさせるべき」と批判した。張本氏は「あれはダメだよ。一生に1回の勝負でね。いろいろ言い訳はありますけど、投げさせなきゃ」「歴史の大投手たちはみんな投げてますよ」「ケガをするのはスポーツ選手の宿命だもの。痛くても投げさせるくらいの監督じゃないとダメだよ」「あの苦しいところで投げさせたら、将来、本人のプラスになるんですよ」などと述べたという。これを受けて大リーグ投手のダルビッシュ有やサッカーの長友佑都らが張本氏のコメントを批判した。
張本氏のコメントは「全体のためには個は犠牲にすべき」「個の犠牲は、その個人のため」という2点に集約される。これは日本社会のいじめや虐待を正当化してきた、大きな2つの根拠でもある。いじめや虐待をやらかす連中の常套句が「みんなのためにお前はがまんしなきゃ」であり、「これはお前のためを思ってやってるんだよ」だからだ。
佐々木投手が登板を回避したのは妥当な判断だったと思う。世論は張本氏のような批判派と、ダルビッシュのような賛同派に別れたが、概ね、特に若い世代で登板回避容認派が増えていることを、若干の驚きとともに素晴らしい世の流れだとぼくは思っている。
令和元年は、いろいろな意識改革元年の年として、後年、肯定的に振り返られるときがくるのかもしれない。
これが昭和の時代であれば、大船渡高校の監督は「愚かだ」「選手を甘やかしている」「他の選手の気持ちをどうするんだ」「高校や地元の名誉に傷をつけた」と大批判を浴びていただろう。しかも、何十年も。佐々木投手は「甘えている」「自分のことしか考えていない身勝手」とこれも徹底的に非難されたであろう。何十年も。
私見だが、高校野球的な「一種の全体主義」は、日本が太平洋戦争後にどん底から這い上がる上での、必要不可欠な「スクラム」としての全体主義ではなかったかと思う。
ぼくは昭和46年(1971年)生まれだから、「見てきた」わけではない。しかし、推測するに、戦後のどん底から復興、高度成長を日本で行うためには皆が一致団結して一つの目標、「日本の復興」のために肩を組んで、前を向いて歩くことが必要不可欠だったように思う。その象徴が例えば美空ひばりの歌う「リンゴの唄」だったのだろう。
現在でもそうだが、国民国家がナショナリズムを発揮するために、スポーツは格好のツールである。「巨人、大鵬、卵焼き」に代表されるように、戦後日本の少年たちを鼓舞したスポーツは野球と相撲であった。あとは、力道山らのプロレスだろうか。
しかし、プロレスは「ごっこ」以外はあくまでも「見るスポーツ」であって「やるスポーツ」ではなく、相撲も次第に「やる」から「見る」に移行していった。「ナウい」ことが大事であった1980年代には相撲は「やるスポーツ」としては「ダサい」ものになっていた(ナウいとかダサいの意味がわからない人はWikipediaで調べてください)。
昭和の時代、「やるスポーツ」としても「見るスポーツ」としても、野球はオンリーワンの地位を占めており、運動の得意な少年はたいてい野球少年になった。高校野球の人気も絶大であった。甲子園で活躍する選手は地元の名士として何十年も語り継がれたし、甲子園で致命的なエラーでもしようものなら、それも長年、語り継がれた。
ぼくは高校時代、試合にも出れないぱっとしないサッカー部員だった。
松江市のしがない県立高校に通っていたが、当時はサッカー部は割と強くて3年生の時にインターハイ(夏の全国大会)に出場することになった。
夏休み前に全校生徒を集めて壮行会があったのだが、ちょうど野球部の「松江地区予選」の壮行会と重なった。野球部のみなさんと一緒に壇上に上がったが、校長は延々と野球の話ばかりしてサッカーの話など一言もしなかった。平成元年(1989年)のことだった。まだJリーグはなく、サッカーはもろにマイナースポーツだったし、野球以外のスポーツはほぼすべてマイナーだった。そういう時代だったのである。
山口瞳の小説「居酒屋兆治」は、高倉健主演で映画になった。高倉健扮する主人公の「兆治」はもと高校野球のエースだったが負傷のためにプロ野球を断念、その後いろいろあって居酒屋の主人となる。屈折した人生の転落で「うじうじ」している兆治に絡む高校時代の先輩を伊丹十三が演じ、その挑発に乗って「兆治」はこの先輩を殴ってしまう。
で、警察に捕まった兆治に刑事が言うのだ。
「この手で人を殴ってはいけませんよ。貴方は、我々の、その~青春のシンボルじゃあないですか」
長々と昭和な映画を紹介した。高倉健も伊丹十三も故人で知らない人も多いだろうが、要するに昭和の時代は「こんな時代」だったのだ。高校野球のエースは、何年たっても地元のヒーロー。居酒屋の親父になっても、その豪腕は憧れの対象なのだ。
みんなが貧しい社会から、貧しくない社会へと肩を組んで歩いていこうとするとき、そのシンボルの一つが野球であり、高校野球であり、高校野球のエースだったのだ。
そういう時代に「肩に違和感があるから試合に出ません」などと言うことは当然許容されなかったであろう。
そして、張本が言うように、昭和の時代の大エースは肩に無理をさせても生き延び、活躍してきた猛者たちだった。400勝投手の金田正一などがその代表だ。
しかし、これは一種の成功バイアスだ。肩に無理をさせて生き延びた選手がいる、は「肩に無理をさせたほうが良い投手になる」ということを意味しない。おそらくその背後には肩に無理をさせたがゆえに野球人生を縮めた選手たちが山のようにいるはずだ。
永瀬洋三は水島新司の漫画「あぶさん」のモデルになったプロ野球選手である。酒豪で二日酔いでも活躍したため有名になったが、彼が有名になり、漫画のモデルになったことは「そういうことは、めったにおきない」レアケースであることの逆説的な証左である。
健康に気を遣い、肩を大事にしたほうが野球選手の選手生命は伸びるし、活躍の可能性はより高まる。その証拠に、高校時代は完投、連投させるくせに、プロになったらそんなことはさせない。現在はさせない。
時代は変わりつつある。日本はそれなりに「貧しくない国」になった。国は貧しくなくなったが、国内の貧富の格差は広がっていき、もはや国民みんなでスクラムを組んで前を向いて歩く、というエートスはなくなっている。美空ひばりのような国民的歌手もいなくなり、高倉健のような国民的スターもいなくなり、紅白歌合戦も大河ドラマも国民みんなで共有する「場」ではなくなった。良くも悪くもみんなバラバラなのが令和の時代だ。
高校野球の人気を受けて、多くの高校スポーツは野球のマネをしようとした。冬の高校サッカーや春の高校バレーはそのようにして人気アイテムになったのだ。
しかし、高校スポーツの人気はだんだん、相対的にだが、落ちていく。
理由は簡単だ。高校スポーツのレベルが高くないからだ。少なくともプロに比べるとずっと落ちる。「やるスポーツ」としてはいいが、「見るスポーツ」としては物足りない。
スポーツコンテンツはネットの普及とともに広がっていき、各自はトップクラスの「マイナースポーツ」を自由に楽しむことができるようになった。テレビをつけると巨人戦、な昭和な時代は終わり、ネットで欧州のサッカーを見たり、スヌーカーを見たり、ネットボールを見たりできるようになった。
そもそも、高校生のスポーツは見られるために存在するのではない。やるために、本人たちのため「だけに」存在するのだ。存在するべきなのだ。当たり前の事実が、ようやく平成も終わりになって理解されようとしている。
野球もまた例外ではない。佐々木投手の「非登板」が皆の理解を得ようとしているのは、そのためだ。
はっきり言ってしまおう。夏の高校野球などは若者を犠牲にして炎天下の中で拷問的なスケジュールでの野球を強いて、これを日本中が注視して喜ぶ虐待的なイベントである。高野連や朝日新聞社、中継するNHKなどのテレビ局たちも「いじめ」の加害者だし、甲子園やテレビで声援を送るファンたちもその加害者だ。
しかし、このいじめはあまりに加害者が多く、構造的で歴史的なために、そのいじめの構造に多くは気づかず、多くは必要悪と肩をすくめ、看過しているだけだ。
夏の高校野球なんて止めてしまえばよい。多くは失笑するだろうが、ぼくは本気でそう思う。代替たるリーグ戦などを開催すればよいのであり、それも週1ゲームとかでよい。勝っても負けてもよい。十代の選手に完投させるなどもってのほかである(その点、大船渡高校の監督もまだまだ後進的なのだとぼくは思う)。
もちろん、ぼくは高校野球が好きな人々の存在そのものは否定はしない。彼らはネットで、あるいは球場に行って好きな高校スポーツを愉しめば良い。しかし、選手生命を短くするような炎天下での連戦、連投を無理強いし、何かを犠牲にすることで自らの満足感を充足させるようなことはしないでほしい。そう思っているだけだ。
プロになるようなレベルであれ、アマチュアレベルであれ、十代でスポーツを止めてしまう人はとても多い。
野球などはまだましであるが、ぼくがやっていたサッカーなどは社会人になると止めてしまう人がとても多い。仕事が忙しい、ということもあるが、部活動のときの練習が厳しすぎて、大学に入ると「やめてしまう」のだ。あんなしんどいこと、もうごめん、というわけだ。
かくいう僕も医師になってからはサッカーなどしなかった。ああいうきついスポーツは若いときだけだ、と決めつけていたのだ。しかし、ひょんなことからジョギングを始め、また偶然的にフルマラソンやトレイルラン、ウルトラマラソンをやるようになって「サッカーもできるんじゃないか」と思うようになった。2018年から、夜間の「大人のサッカー教室」でおじさんたちと(ぼくもだけど)ボールを蹴るようになった。
50近くになってサッカーを再開して、いろいろ驚かされている。
なんといっても、練習の質の向上が著しく、ほとんど浦島太郎のような心境でいる。
分かりやすい一例を言えば、昔であれば「走れ、走れ。もっと頑張れ」という指導が多かったように思う。ところが、現在の指導だと「そこは、休んだほうがいいですよ。走ると、疲れますよ」と教えられるのだ。細かい背景因子についてはここでクドクド説明はしないが、要するにそういうことだ。
かつてのスポーツ界では厳しい指導、厳しい練習が目的化していたところがある。野球やサッカーに限らず、どのスポーツでもそうだった。ラグビーの平尾剛さんのお話をよく紹介するが、だめなラグビーコーチは「疲れて動けなくなるまで練習する」のだそうだ。しかし、そういう練習をすると、選手はタフになるどころかどんどん体の動かし方が下手になる。「疲れて動けなくなる」が練習の目標になってしまい、一刻でも早く疲れて動けなくなるような、下手な体の動かし方をしてしまうからだ。
このことは、練習を厳しくしてはいけない、とか動いてはだめ、という意味では決してない。その証拠に、前回のラグビー・ワールドカップでは、世界一タフで厳しい練習をやった日本代表が南アフリカに勝利するという史上最大のアップセットをやってのけた。要は、その厳しさが目的に合致しているか否か、である。
目的。
多くのスポーツ選手にとって、目標は長期的な選手としての大成にあるとぼくは思う。短期的な甲子園での活躍ではない。甲子園で活躍しても良いけど、その栄光を思い出に、野球をやめてしまうのはもったいない。一生野球を続ける、生涯スポーツを楽しむ人がもっと増えたら、日本のスポーツ界はさらに成熟する。そのように僕は思う。そこから逆算すると、高校時代に衆人のいじめ的な過酷なプレイを強いて、ましてや怪我のリスクも顧みないような昭和な高校野球のエートスは終わりにすべきなのだ。
たしか、1991年のことだったと記憶するが、イングランド代表のサッカーの試合でエースだったガリー・リネカーが欠場した。妻の出産に立ち会うためだった。その話を聞いて、テレビを見ていたぼくは驚いた。当時の僕の感覚から言えば、「個人の事情」である妻の出産のために国際試合を放棄するなど、到底許容されないことだったからだ。しかし、BBCのアナウンサーも解説者もこれを当然のことのように伝えていたし、ファンもジャーナリストも別段、これを批判的にはみなかった(当時ぼくはマンチェスターに住んでいた)。
2019年になって、ヴィッセル神戸のアンドレス・イニエスタがやはり妻の出産に立ち会うためにスペインに戻り、Jリーグを欠場した。ラージメディアもソーシャルメディアもこれを批判したものはなかったように思う。現在の僕は、もちろんイニエスタの判断を当然のことと思うようになった(まあ、ヴィッセルは貴重な勝点を落としてしまったけれど)。あれから30年近くたって、ぼくも日本社会もそれなりに成熟してきたのだ。
もう一度いう。夏の甲子園は戦後日本社会の全体主義、スクラム主義の遺産である。それは歴史上、一定の役割を果たしてきたとは思うけれど、よくも悪くも「個の時代」の現代において、みんなでスクラムは時代遅れだ。けが人が出てもスクラムはもっと時代遅れだ。
全体よりも個。それも、生涯にわたる個である。甲子園が「通過点」となり、「目標」でなくなれば、個々人はもっと自由にプレーできるし、長くプレーできる。その恩恵を一番受けるのは、実は野球ファンである。多くの「活躍できる可能性があったのに潰れて消えてしまった選手」の出現を回避できるのだから。
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