部活動問題が喧しい。先生の負担、生徒の負荷。昭和からずっと続く部活動文化、実はやりすぎなんじゃないの?というわけだ。
ぼく自身、小学生から大学生までサッカーをやっていて、どっぷり部活動文化に浸って生きてきたのだが、今から振り返ると実にヤバイシステムだったと思う。
もちろん、休日返上してずっと部活動ばかりというやり過ぎ問題や、教師の負担が大きすぎるという物理的問題もある。レギュラーばかりが試合にでるとか、下級生が関係ない下っ端仕事して、とかの問題もある。
しかし、それ以上にアウトカムの問題のほうが大きいとぼくは思う。
長崎に非常にサッカーの強い高校があった。そこは連戦連勝で全国大会を制覇しまくったのだが、卒業生のアウトカムはパッとしなかった。ぼくが知る限り、あの高校の卒業生で世界レベルで通用したのはただ一人だ。彼とて「世界で通用した」だけで、世界のスターになったわけではない。
そもそも国際的に活躍するプロスポーツの世界で、部活動のようなシステムから大成したスーパースターをぼくは知らない。要するに、あれは日本という小さな島国の中で超短期的なアウトカムを出すだけのもので、グローバルには通用しないシステムなのだ。
部活動は短期的なアウトカムを求める。学校がそれを要求し、なにより保護者が要求する(これが最も厄介な部活動問題の大敵である)。一番ヤバイのが野球で、ここに地域やOBたちの期待まですべて背負い込まされて、NHKと朝日新聞という大企業まで後押しし、炎天下の夏の甲子園で連日過度な試合を強いられるのである。プロでもやらない完投(原則)を日本の真夏で毎試合させるという理不尽さ。あるものは怪我をし、あるものは燃え尽きて、長く、広く活躍することができない。どれだけたくさんの高校時代のスーパースター候補が、一番活躍すべきプロの時代にぱっとしないまま終わってしまったことか。
部活動を通じて人間の成長が養えるとか、社会で生きていく力を身につけるという意見があるが、あれは真っ赤なデタラメだ。単に理不尽に耐える精神力を叩き込まれ、ブラック企業でダメな上司のもとでも文句一つ言わずに働きぬく、体育会系のサラリーマンを作るのがせいぜいである。それがチームを強くする、という意見もあるが、それも間違っている。チームは内的にはコヒーレントで、仲がよく、楽しくワイワイ一体感に浸っていられるかもしれないが、外的なアウトカムを出してこそのチームである。チームに必要なのは上の言うことならどんな理不尽でもきいて深夜、週末を問わず働きまくる兵隊ではなく、「それはおかしいんじゃないんですか」と間違っているチームの方針を修正してくれるような強い個の集団である。そう、部活動文化の一番の問題は「自分で判断する、自分で考える」という能力を削がれてしまうことだ。指導者の言うとおりに忠実に耐え抜くのが、部活動文化社会での政治的に正しい振る舞いなのだから。
FCバルセロナは世界で一番強い「チーム」であり、チームとしてのアウトカムを長年出し続けているが、選手の誰ひとりとして理不尽な部活動を耐え抜いたりはしていない。むしろ、自分の頭で考え、自分で判断する能力の行先に全体としてのチームがあるのだ。言われたことしかできない集団は、半ちくなチームしか作らない。
ぼくが「勉強の方法」を書いたのも、医学生たちが「医学部入学」という短期的なアウトカムを目指して理不尽に耐えながら受験を勝ち抜き、いざ入学すると抜け殻のように呆けてしまって、勉強しなくなってしまう現実を嘆いたからだ。まだ、スタートラインにすら立ってないんだよ、君たちは。これは至極まっとうな主張のはずだが、部活動同様、最大の障壁は保護者だったりする。
小さいときからスポーツに親しみ、体を動かすことは誠に結構なことだ。それをザ・部活動というコンテクストの中でやるのではなく、もっと広い世界を見据えてスポーツをすれば良い。そうはいっても、昭和の時代と異なり、学校外のクラブも増えて徐々に日本のスポーツ界も「体育」から「スポーツ」になってきた。未来の日本スポーツはもっと明るく輝かしいものになると思うし、医学生だってもっとましになるとぼくは希望しているし、ある程度は信じてもいる。
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