オーストラリアと中国の試合はテレビで見た。韓国戦はキンチョウスタジアムで観た。おかげで?風邪を引いたけど、それはよい。一連の報道に考えさせられている。
今回の一連の敗戦を「気持ちの弱さ」だと評しているメディアが多い。サッカー専門誌でもそのような言い方をしている。でも、彼らがいうところの「気持ちの弱さ」とは別の次元の「気持ち」の問題だとぼくは思う。
不思議だったのは中国戦後半の川村の交代だった。確かに、川村のバックパスから失点したのは事実だ。でも、全体的には川村の守備への貢献は大きかったしパスもよく通っていた。
あの試合はMF4人だったけど中嶋は事実上ウイングみたいな仕事だったので、試しに前半45分だけ見なおして、MF3人のパス成功率をカウントしてみた。こちらの主観でパスを意図したもの、をパスの基準にし、受け手のエラーでない(トラップミスとか)パスの失敗をパスの失敗とした。ただし、宮間が一回やったようにあまりにボールが強すぎてトラップしようがなかった、みたいなのはパス失敗としている。テレビ放映だし、1回しか見てなくてデータをvalidateしてなくて、上記のようにやや恣意的な分析だけど、大雑把には実情はわかると思う。
ぼくがテレビで確認できた限り、前半で川村の出したパスは24本、そのうち成功は21本で、成功率は87.5%、一方、宮間はパス19本、そのうち成功11本で成功率は57.9%だった。宮間の場合はロングパスが多いなど、酌量すべき要素もあるのだけど、それにしてもパスの絶対数が少ないし、パスミスが多かった。対照的に、川村は総じてパスを通していたのである。ちなみに、坂口のパス成功率も高かったが、パス自体がずっと少なかった。前半を見る限り、坂口も宮間も試合から「消えていた」のである。
実際、なでしこの中盤はほとんど存在しなかった。攻撃は中盤を省略したロングパスばかりで、中盤のパスからのビッグチャンスはほぼ皆無だった。華麗なパス回しからのポゼッションサッカー、女版バルセロナとか言われていたなでしこがこんな感じだったのだ。もちろん、2日おきの試合という尋常ではないスケジュールも影響しているとは思うけれど。
いずれにしても、スタッツをみれば宮間が有効に機能していなかったのは一目瞭然であり、それは韓国戦でもそう感じていた。だから、ぼくは佐々木監督は宮間を交代させると思っていたのに、川村を交代させたのでちょっとびっくりしたのだ。
たしかにパスミスはよくない。でも、サッカーにパスミスはつきものだ。1回パスミスしたくらいで、通常選手の交代なんてしない。なんか、今では澤はレジェンド扱いになって神格化されてるけど、澤も「げげげ」というやばいパスミスは多かった。たしか、澤のミスパスからの失点もあったはずだ。でも、それを補うだけのボール奪取力と決定力があったから、それでもよかったのだ。川村は澤に比べると守備も攻撃もだいぶ見劣りするけど、少なくとも今大会の宮間よりはずっといい。どうして交代したのか。
佐々木監督は11年に調子の悪かった永里(現大儀見)を交代させたり、今大会もベテランをバッサリ切ってるクールな監督だ。情緒的、懲罰的な交代ではないと信じたい。でも、絶不調の宮間は残した。それが情緒的な理由なのか、一か八かの宮間のフリーキックを当てにした博打なのか、あるいはキャプテンシーを期待してなのか、ぼくには分からない。
もし宮間のキャプテンシーを期待していたのであれば、完全に裏目に出ていると思う。宮間は「死にものぐるい」でやっているが、まだ足りないと自分を追い詰めるような発言をしている。問題はパスの成功率だ。
では、「死にものぐるい」になるとパスが通るようになるのか?
普通、逆だ。焦って追い詰められた選手がパスを通せないのはアタリマエだからだ。かつてジーコが「日本の(男子)選手は決定力がない」と嘆かせたのもこの「必死の焦り」であった。香川がいざという大舞台でぱっとしないのも、入れ込み過ぎてパスやシュートの精度が下がるためだ。
よって、こういうときに大事なのは「平常心を保つ」ということになる。宮間は11年の決勝という大事な舞台での同点劇にも「これくらい当然」と不敵な態度をとっていた。佐々木監督も土壇場のPK戦で笑っていた。その平常心が今のなでしこから完全に消えている。
そのようなチームにメディアが「必死さが足りない」みたいに論ずるのは、完全にカウンタープロダクティブなのではないか。かつてクールでレジリアントなのが売りだったなでしこは、15年W杯で岩清水がミスするとすぐに交代させ、その岩清水は号泣していた。ミスを認めない、我々のエートスがなでしこを追い詰め、そして皮肉にもそのレベルを下げてしまったのだとぼくは思う。
翻って、日本社会ではミスを認めない、ミスすると叩く、「二度とミスはしない」と確約させる」、やたら始末書を書かせる、というミス否定社会である。ミスがあってはならない、が前提になるのでミスのおきる原因を構造的に分析する、というクールな対応をしたがらない。もっとひどいのになると、ミスの存在そのものを否定したがる。始末書なんて全廃し、原因分析を(本人ではなく、専門チームに)報告させたほうがずっとプロダクティブなのに。
「ミスが多いですねえ」と連呼するアナウンサーや解説者。大事なのは、現象を連呼するのではなく、その背後にある真の原因を(root cause)を分析し、対応することだと思う。ぼくの私見だと、宮間は逆に自分を追い詰めて、かえってプレーの質を落としてしまった。なでしこはその宮間にすがり続けた。こうして構造的になでしこのプレーは劣化し、そして敗戦したのだ。それに比べれば、福元とか川村のミスは、瑣末な事象にすぎない。いや、そういうミスに遠因を求めてしまえば、ますますこの問題は深刻になってしまうだろう。
サッカーはミスのスポーツであり、ミスは前提である。ハンドボールやバスケットボールとは違うのだ。畑違いの話題にこんなに考えこんでしまっちゃうのは、医療も同じだからだ。医療は不確定性、個別性の多い業界で、工場でパンや自動車を作るような品質精度は原理的に不可能だ。ある薬を飲ませて、効くか効かないか、副作用が出るか出ないかはやってみないと分からない。そういう不確定性の大きな領域で「ミスは許容しない」というミス否定主義は、かえって全体の質を落としてしまう。そういう類似性から、ついつい、身につまされてしまったのだ。
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