ぼくは神戸大医学研究科の倫理委員長をしている。
倫理委員会は研究者が気持ちよくよい臨床研究をしていただくためのお手伝い役だといつも思っている。決して厚労省の指針に形式的に付き合わせるのが目標ではない。ましてや「てにをは」から重箱の隅をつついて書類の不備を探し出し、足を引っ張る役回りであってはならない。論文投稿時に査読者から、あるいは論文発表時に読者から、「それは倫理的にアカンやろ」と言われないための、研究参加者がいらぬ不利益を被らないための、研究者と被験者のサポートが倫理委員会の仕事だ。
しかし、申請者が委員会で苦言を呈され、申請の訂正ややり直しを求められたり、場合によっては却下されることもないではない。そういう事例はこちらとしてもなるたけ回避したいので、この一文を認める。少なくとも神戸大医学研究科で倫理委員会に申請したいと考えている人は、この文章をちょろっと読んでいただくとよいと思う。ただし、本文は岩田の私見であり、委員会の総意ではない(ましてや、他学、他研究科の見解はまったく顧慮していない)。厚労省のこれまでの「研究指針」はあとめられて「人を対象とする医学系研究に関する倫理指針」となった。研究不正問題があちこちでおきて、医学研究者に対する一般の目も厳しくなっている。倫理委員会は、少なくとも神戸大医学研究科の倫理委員会は、形式ではなく本質的な医療倫理、医学倫理をまじめに検討している。こちらの思いを理解してくれると、研究計画書もすんなりOKとなる(こちらも楽になる)。
1.臨床研究の「いろは」は学んでおこう。
ある領域に突入するのなら、その領域の基本的な入門書、できれば教科書くらいは読んでおくのが定石だ。しかし、医療者なのに本を読む習慣を持たない人は、案外多い。感染症とか輸液とか画像や心電図の読影とか、無勉強かつ見よう見まねでやっている人は驚くほど多い。このブログは医者以外も読んでいるから「まさか」と思うかもしれないが、本当です。
臨床研究にも「いろは」があり、ちゃんと入門書もある。研究計画書を書く段階で、研究は8割がた完成しているとぼくは思う。その研究計画書が臨床研究の「いろは」を無視して書かれていると、倫理もへったくれもないので、申請は却下される。
なので、基本的な教科書を1冊でよいから読んでおいてほしいと思う。ぼくが学生の時に愛読したのは故廣谷速人先生の「論文のレトリック」(南江堂)である。昔の本で、ぼくの手元にあるのは95年の初版だが、今読み直しても全然古くない。倫理面に関しては歯に衣着せぬ当時の論調が(廣谷先生の論調が?)、現代の政治的に正しい口調よりも説得力を持っている。他にも以下の本が「いろは」を学ぶにはおすすめなので、せめて1冊は読んでほしい。スタディーデザインのカテゴリゼーションが間違っていたりすると、さすがに倫理委員会も萎える。
2.目的を明確にしよう。そして目的と手段を一致させよう
研究計画書と科研費申請書を混同している人が多い。グラントの申請書はアドバルーンみたいなもので、審査者に対する営業活動である。針小棒大に大ぼらをでっち上げれば良い(私見)。しかし、研究計画書は地に足の着いた極めてリアルな文書である。研究対象(被験者)や未来の患者が絶対に幸せになります、みたいな大げさな計画はまずよくない。地に足の着いた目標を設定するのが大事である。目標は「疾患の姿」を明らかにしたいのか、診断手法を改善したいのか、治療効果を上げたいのか。
目的が存在しない(!)計画書も多い。とりあえず、患者集めて、新しいアッセイで色々調べてみたい、というやつである。一番臨床研究を「ナメテかかっている」タイプで、却下される可能性が一番高いのもこれである。医者は質問をするのが苦手なので、そもそもリサーチクエスチョンが出てこない、という場合も多い。リサーチクエスチョンのないリサーチは「ありえない」。たしかにビッグデータで瓢箪から駒、的な研究は存在しうるが、実際の患者を対象に興味本位でデータをこねくり回すのは被験者に失礼である。介入試験なら即却下だし、たとえ観察研究であっても患者の個人情報をいたずら半分に扱うのは倫理的に許容されない。目的は論文のイントロダクションに書けるような明示的なものがよいし、そうしておけば論文書くのも楽ちんである(研究計画書の段階で論文のドラフトとして書いておけば、手間は省ける)。楽をするために苦労をするのである。たとえ萌芽的なパイロット研究であっても、目的だけは明確にしておかねばならない。
目的が明示的になったら、今度はその目的に達するための手段を明確にする。目的と手段が噛み合っていない計画書はとても多い。それではリサーチクエスチョンに答えられないではないか、と思う。リサーチクエスチョンに答えられないような研究のために患者を利用するのも倫理的には許容されない。
手段を明確にするには、「だれ」を対象に「なに」をするのかを明示しなければならない。これも「いろは」だが、案外できていない。研究計画書を読んだ人が同じことをリプロデュースできるくらい、具体的に記載するのが大事である。
3.「がため」の研究をしない。
企業と協力して研究するのは全く問題ない。しかし、販促そのものを目的とした研究はよくない。たとえその企業にとって都合の悪い結果となっても公表する覚悟が研究者には(企業にも)必要だ。知りたいから研究するので、結果ありき、「がため」の研究は倫理的に許容されない。研究者に製薬メーカーの職員が加わることも可能であるが、その必然性や役割も明確にしなければならない。ディオバン事件は他人ごとではなく、他山の石なのだ。
あとは手続き上、書面上の問題なので事務方にチェックしてもらいながら書類を整えていただくとよい。無駄な書類を減らすために、この数年間で書類仕事はだいぶ減らしたし、他施設研究の場合は他施設の書式でもOKにして、書類作成の手間はかなり省けるようになったと思う(書類は少ないほどよい)。余った時間で内容のリファインメントに尽くしていただけると嬉しい。よい研究計画書をバンバン出していただければ、こちらも嬉々としてそれらを承認していく。
医療倫理についてもうちょっと突っ込んで考えたい人は、以下も参照のこと。
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