「本」に書いた原稿を転載。元の文章はここに。Kindle版も出てます。前のブログと表面的には矛盾するけど、なるたけ、石川先生の絵は、紙のほうでappreciateしてほしいです。基本的に、ぼくも紙で漫画読みたい派なんです。でも、(自分の好みとは別として)kindle版という選択肢があるのがよい、、、「イエスでもあり、ノーでもある」とはそういうことだと思います。
『絵でわかる感染症 withもやしもん』 という本を上梓することとなった。「もやしもん」は「イブニング」などで連載されたベストセラー漫画(石川雅之作)で、「菌が肉眼で見える」不思議な能力 を持つ青年が微生物を扱う農学部で大活躍・・・・・・というのはかなり噓で、あらすじを説明してもこの漫画のよさはわからない。こればかりは「読んでいた だく」より他ないと思う。ちなみに「もやしもん」とは種麴屋のことだそうだ。 「もやしもん」と石川雅之の大ファンとしては、本書のイラストが石川氏の手で、しかも「もやしもん」のキャラを使ってなされるのは天にも昇らん喜び である。(ご覧の通り)精緻で美しい石川氏のイラストは、これだけで一見の価値はある。感染症学には何の興味もない、という諸兄もぜひ本書を(そのためだ けにでも)開いていただきたいと思う。 さて、「感染症学」は「微生物学」ではない。微生物学は微生物を扱う学問だが、感染症学は感染症、すなわち微生物が起こす人の病気を対象とする学問 だ。感染症は微生物を原因とする「コト」であり、微生物は「モノ」である。両者は深く関連する、しかし異なるものである。ところが、長く日本では「コト」 と「モノ」とが混同されてきた。すなわち、「感染症学」は「微生物学」の一亜型であると勘違いされてきたのである。 「コト」と「モノ」は(当たり前だが)同じではない。感染症学は微生物学を基盤としているが、微生物学「そのもの」ではない。微生物学はドイツの コッホ、フランスのパスツールらがパイオニアとされるが、同時代の巨人、北里柴三郎、志賀潔、野口英世などの活躍をみても、日本では微生物学の歴史は長 く、その質も高い。しかし、人の病気=「コト」を扱う「感染症学」においては極めて遅れているというのが(残念ながら)現実である。 例えば、微生物を殺す薬(抗菌薬)の微生物に対する効果は実験室内で測定できる。しかし、その抗菌薬が「病気を治すことができるか」はまた別の問題 である。長く日本では、抗菌薬を「使った」「治った」(だから)「効いた」という「サンタ」論法、因果関係と前後関係の混同が普遍的に起きていた。今でも 「薬が効く」という言葉を、真にその意味を理解しつつ用いている医学者は少数派に属する。 「微生物を殺す」ではなく「感染症が治る」ことを吟味するためには、感染症という「コト」=現象そのものの把握力が必要である。そこには感染症のク オリアというものがある。感染症学のプロが体得するそのクオリアを少しでも本書で追体験できるよう、テキストは工夫したつもりである。 微生物も肉眼で目に見えないから、その「モノ」としてのクオリアはイマイチわかりにくい。勢い、「気持ち悪い」「怖い」といった印象が先行する。そ のクオリアの方は石川氏が卓越したセンスでイラスト化してくださった。筆者も想像すらできなかった微生物のクオリアが見事に絵になっている。 本稿執筆時点で日本では、そして世界中でエボラ出血熱という感染症が問題になっている。「エボラは怖い」「エボラは感染力が強い」といった、これま た印象だけが先行する報道がなされ、その報道に振り回されて政治家や官僚、多くの医療機関がパニックに陥り、パニックと恐怖を根拠とした、科学的には理に かなっていない対策が次々ととられている。理にかなった感染症学を活用していないからである。 はっきり言っておく。「感染力」などというものは存在しない。そこからして、すでに間違っているのだ。 では、エボラのなにが怖く、なにが怖くないのか。「感染力」がなければ、なにがあるのか。それも本書を通じてお伝えできたら、と思っている。
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