今書いている原稿の抜粋です。御覧ください。
クラビット(レボフロキサシン)やシプロ(シプロフロキサシン)といったニューキノロン製剤は一種「便利な」抗生物質で、日本でも海外でも非常にたくさん使われています。
なぜ多用されるかというと、肺炎にも効き、尿路感染にも効き、多くの皮膚感染症にも効く、というわけで、いろいろな感染症に効果があるからです。要するに、ちゃんと感染症を診断できない医者でも使っていれば治療が成功する可能性が高いからです。あるアメリカのホスピタリスト(入院患者だけを専門に見る医者)は、「おれ入院患者には全例キノロン使ってるよ」としれっと言っていました。「ナントカの一つ覚え」ですね。
日本では、アメリカほどキノロンが乱用されることはありません。ひとつには、日本呼吸器学会が「肺炎にキノロンを乱用しないよう」求めていることがあります。学会が抗生物質の適正使用についてまっとうなアドバイスをすることがまれな日本において、これは「パチパチパチ」、と拍手ものの英断でした。日本ではまだまだ結核が先進国の中では多いのですが、キノロンを肺炎と間違えて使ってしまうと結核の診断が遅れてしまうのです。キノロンだけでは結核が治癒することはないのですが、菌の活性を抑えてしまうため、検査で見つけることができなくなることがあるためです。
ただ、これはあくまで「アメリカと比較すると」日本がましなだけで、日本でもキノロンはかなり無駄遣いされています。「かぜ」とかにクラビットが出されているのもよく見ます。日本の場合、外来患者には三世代セフェムやマクロライド、入院患者にはカルバペネムを出す医者が多いので、相対的にアメリカよりもキノロンの使用頻度が下がっている、、、そういうシニカルな見方はできるかもしれません。「ナントカの一つ覚え」が、キノロンからセフェムやカルバペネムに転じただけなのかもしれません。
日本において、そのキノロンがもっとも使われているのは、尿路感染症に対してです。尿路感染症とは、要するに膀胱炎と腎盂腎炎(腎臓の感染症)のことだと言い切っても、まあそんなに外れていないでしょう。
(これは外国でもそうなのですが)日本では、「尿路感染といえばキノロン」というパターン認識、「ナントカの一つ覚え」な処方がとても多いのです。
しかし、これは間違っています。
尿路感染の最大の原因は大腸菌です。日本の大腸菌の多くはすでにキノロン耐性菌になっています。前掲のJANISのデータによると、日本で見つかる大腸菌のうち、レボフロキサシン(クラビット)に感受性のある大腸菌はたったの63.7%でした(2012年10月〜12月 http://www.nih-janis.jp/report/open_report/2012/2/1/ken_Open_Report_201204.pdf)。実際、日本では「キノロンだけ耐性」な大腸菌が多いのです。尿路感染は繰り返しやすい特徴を持っていますから、同じ患者さんが何度も何度もキノロンを処方されて耐性化が助長されてきたのです。
通常、感受性検査を見ないで抗生物質を処方する場合(エンピリックな治療と言います)、80%以上の感受性が保たれていることが大切です。日本ではもはやキノロンをファーストチョイス(第一選択)にできなくなっているのです。神戸大学病院ではですから、尿路感染症の治療にST合剤(バクタ)や点滴の(経口ではなく)三世代セフェムを第一選択に推奨しています。
もちろん、キノロン製剤といってもいろいろな種類があります。例えば、比較的新しいシタフロキサシン(グレースビット)の場合、大腸菌に対する感受性はまだ残されている、という主張もあります(Jpn. J. Antibiotics, 65, 181-206, 2012)。でも、それは「効かなくなったら、もっと広域な抗生物質」というイタチごっこの別バージョンに過ぎません。グレースビットを使い続ければ、また耐性菌が増加し、という悪循環に陥ってしまいます。
尿路感染症は、日本ではもっぱら泌尿器科医が治療していることが多いようです。アメリカではたぶん小児科医や内科医、プライマリ・ケア医と言われる医者たちが治療していることが多く、ぼくが知る限り泌尿器科医が尿路感染症を治療することは(合併症で手術や手技を必要とする場合を除き)ないと思います。アメリカ泌尿器学会のホームページを見ると、「泌尿器科とは何か(What is Urology?)」というページがあり、そこには7つの下位専門分野が設定されていました。すなわち、
1.小児泌尿器科学
2.泌尿器系腫瘍学
3.腎移植
4.男性不妊
5.腎結石
6.女性泌尿器科学(尿失禁など)
7.神経泌尿器科学(排尿障害や勃起障害、EDなど)
とあり、感染症は含まれていませんでした(http://www.auanet.org/content/homepage/homepage.cfm 閲覧日 2013年4月3日)。
ま、別にどちらの医者が治療してもいいんです。治療が適正に行われれば。
ただ、日本においても大多数の泌尿器科医のメイン・ターゲットは、尿路感染症ではありません。彼らは基本的に「外科医」ですから、手術や手技を必要とする問題を自分たちのプライマリなターゲットにしていることが多いです。例えば膀胱がん、例えば前立腺肥大、例えば腎結石、例えば腎移植などです。
ですから、尿路感染症について一所懸命勉強し、最新のデータをアップデートし、その能力の大多数を感染症に費やしている泌尿器科医はむしろ少数派だと思います。たくさんの尿路感染症患者さんを診療はしたとしても、です。で、製薬メーカーの営業からの情報や、学会のランチョンセミナー(製薬メーカーがお弁当を提供して自社製品をプロモートするためのセミナー、、、、のことが多い)などで「ネタ」を仕入れるのです。
そして、ごく少数派の泌尿器科医が、がんでもなく、前立腺肥大でもなく、石でもなく、移植でもなく、感染症をメインのターゲットとして勉強したり、研究したりしているのです。
これは泌尿器科だけの問題ではありません。「感染症が専門です」と日本で言っている、その「専門家」の大多数は、実は「ついでに」感染症をやっている医者たちです。本業は呼吸器内科だったり、血液内科だったり、小児科だったり、検査医学だったりするのです。日本では、まだまだ感染症学は独立した専門分野としては認知されておらず、「ついでに」できる商売だと思われているのです。後述するように日本では専門医資格をとるのが簡単なので、3つや4つの専門分野の専門家であるのは珍しくないのです。
で、多くの医者は、「ついでに」感染症専門医資格をとっています。後述するICDになると、研修も試験もありませんから、本当に「ついでに」資格が取れてしまいます。
しかし、あくまでも本業は呼吸器内科だったり、血液内科だったり、小児科だったり、臨床検査なので、感染症の勉強は、「ついで」になりがちです。悪い時は「半ちく」になり、中途半端な知識で間違ったプラクティスをすることもあります。よくても、自分の専門臓器周辺の感染症が専らになります。すなわち、泌尿器科医なら尿路感染、呼吸器内科なら肺炎、血液内科なら白血病治療の合併症たる感染症です。
自分の専門分野を離れた感染症や、そもそもどこが原因の熱だかわからない、という「不明熱」を上手に見ることが出来る人は、ごくごくごくごく少数になってしまいます。
「自分は泌尿器科医だから、尿路感染以外はあまり得意ではない」という自覚がある場合は、まだよいのです。こういう自覚すらない場合は最悪です。ぼくは某県某所で、肺炎を治療していた泌尿器科医に「ぼくは尿路感染はたくさん見てますから、肺炎くらいは治療出来ますよ」といわれて口あんぐりになったことがあります。例えば、「私は脳腫瘍のオペをしているので、膀胱がんの手術くらい出来ますよ」と脳外科医に言われたらどうでしょう。
感染症は、そのくらい「なめられている」のです。「ついでにできる」と思われているのです。
そして、「感染症専門家」のうちの、ごく少数な人たちが、そういう「ついで」ではなく、「感染症をメインに」勉強したり、研究したりしているプロパーな専門家なのです。
しかし、このプロパーな専門家がまたいけません。プロパーな専門家なので、製薬メーカーと協力して臨床試験を主催したりするのですが、そこに「癒着」が生じます。新しい抗生物質発売記念の講演会とかで講演を頼まれるのが、こういうプロパーな専門家です。「なんとかマイシンを中心に」なんてサブタイトルのついたランチョンセミナーの演者は、もう製薬業界とベッタリになっています。新しい抗生物質をプロモートするというインセンティブが強いですから、適正な抗生物質の使用は期待出来ません。
こうして、「ついでに」感染症を診ているのでもなく、自分の臓器の周辺以外の感染症もきちんと勉強し、かつ製薬業界の太鼓持ちにもならない、まっとうな感染症専門家も日本にはいます。泌尿器科という(あるいはその他の)専門性を持ちながら、全ての感染症について、高い専門性を保っているスーパーな専門家です。複数の専門科目を(真の意味で)併せ持つ専門家、ダブルボーダーです。ぼくにはとてもそんなマネはできませんし、こういう人たちは本当素晴らしいなあ、と尊敬します。
ですが、そういう人を探すのは、日本では非常に困難なことなのです。
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