香坂俊先生はぼくが今まで会った中で「一番頭がいい」医者のトップ3に入る人物である。加えて、ハートも熱い。そのハートを天職にしてしまうくらいだし。どのくらい熱いかは、本書を読めば分かる。
香坂先生がアメリカから慶応大学に異動されたのが2008年である。それから5年近くの奮闘をまとめたのが本書である。だから、本書は「戦記」だ。
本書の内容は、アメリカのCardiologyに慣れているぼくには「普通」のことしか書いていない(もっとも、マニアックなレベルはぼくのような素人にはついていけないので、そこは知らない)。リドカインは不整脈には使えない。心不全では心臓は叩かない(in general)。不整脈を見たらベッドサイドにいけ。しかし、ふつうのコトを語るためにここまで熱く「戦う」必要があったわけだ。その気持は痛いほどわかる。ぼくも神戸大に異動したのが2008年だ。中国から亀田総合病院に移った時のギャップより、亀田から神戸大に移ったときのほうがカルチャーショックは大きかった。毎日「ぎえー」「ひえー」「なんで?」と絶叫の日々であった。今でも絶叫の頻度は下がっているが、ゼロにはなっていない。
要するに、日本の大学病院は大旨臨床を「なめている」。臨床なんて「ついで」にできると軽く見ているフシがある。むろん、これを肯定する人はゼロだろう。しかし、それは公の場で「私は人種差別主義者だ」と言わないのと同じ意味でのゼロである。意識的か無意識かは別として、臨床はなめられている。だから、オーセンティックな教育もテキストブックも無視した診療がはびこる。オーセンティックな教育もテキストブックも無視して研究やったり論文を書いたら、大学ではおそらく「暴挙」であろうに。技術が顕在化しにくい内科において、それはとくに顕著だ。先の岸田先生の「風邪」なども、ほとんどの医師は勉強せずに「なんとなく」見ている。あるいは我流・珍論に走っている。
ぼくなんかは、抵抗勢力の少ない感染症屋だから、まだ楽だったのだが、ある種の権威が完成している循環器領域で、香坂先生の奮闘がいかばかりなものであったか、その精神のほとばしりは本書のあちこちから流れこんでくる。
もちろん、熱い心とクールヘッドの併存する香坂先生だから、そこはアカデミックな吟味は十二分に発揮されている。ウィットもあり、「患者さんの脈を取る前に自分の脈を取りましょう」という諧謔も充分だ。この手のダークな諧謔は当時のSt.Luke's Roosevelt Hospitalにいた日本人たち(香坂、田中竜馬、岩田)に顕著な傾向であった。理由は特にないと思うけど。
本書は学生と研修医のための本で、心臓のことに無知ではMDとはいえない。絶対ソンはしないから、「買い」だと思います。
ときに、第一回ワールドカップで優勝したのはパラグアイではない。ウルグアイである。わざと?
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