「構造と診断」の書評を春日先生にいただいた。ありがとうございます!
書評者:春日 武彦(成仁病院顧問)
本書は,診断するという営みについて徹底的に,根源的なところまでさかのぼって考察した本である。それはすなわち医療における直感とかニュアンスとか手 応えといった曖昧かつデリケートな(しかし重要極まりない)要素を「あえて」俎上に乗せることでもある。昨日の外来で,ある患者を診た際に感じた「漠然と した気まずさや躊躇」とは何であったのか。やぶ医者,残念な医者,不誠実な医者とならないように留意すべきは何なのか。どうもオレの診療は「ひと味足らな い」「詰めが甘い」と不安がよぎる瞬間があったとしたら,どんなことを内省してみるべきか。本書はいたずらに思想や哲学をもてあそぶ本ではない。しっかり と地に足が着いている。極めて現実的かつ実用的な本である。そして,とても正直な本である。「ぼくら臨床医の多くはマゾヒストである。自分が痛めつけら れ,苦痛にあえぎ,体力の限界まで労働することに『快感』を覚えるタイプが多い」といった「あるある」的な記述もあれば,うすうす思っていたが上手く言語 化できなかった事象を誠に平易な言葉で描出してみせてくれたり,「ああ,こういうことだったんだ」と納得させてくれたり,実に充実した読書体験を提供して くれる。
蒙を啓いてくれたことがらをいくつか記しておこう。「患者全体が醸し出す全体の雰囲気,これを前亀田総合病院総合診療・感染症科部長の西野洋先 生は『ゲシュタルト』と呼んだ」「パッと見,蜂窩織炎の患者と壊死性筋膜炎の患者は違う。これが『ゲシュタルト』の違いである」。蜂窩織炎と壊死性筋膜 炎,両者の局所所見はとても似ているが,予後も対応も大違いである。そこを鑑別するためにはゲシュタルトを把握する能力が求められる。わたしが働いている 精神科では,例えばパーソナリティー障害には特有のオーラとか独特の違和感といったものを伴いがちだが,それを単なる印象とかヤマ勘みたいなものとして排 除するのではなく,ゲシュタルトという言葉のもとに自覚的になれば,診察内容にはある種の豊かさが生まれてくるに違いない。ただし「ゲシュタルト診断は万 能ではない。白血病の診断などには使いにくいだろう。繰り返すが,万能の診断プロセスは存在しない。ゲシュタルトでいける時は,いける,くらいの謙虚な主 張をここではしておきたい」。
診察という行為は患者が生きる時間の一断面を「たまたま」のぞき込んでいるに過ぎない。症状にせよ検査値にせよ画像にせよ,それらは時間という 奥行きや,患者の置かれた文脈(それは状況とか事情とか環境とか立場とか人生とか,いろいろな言葉に置き換え得るだろう)を勘案しなければ意味を持たな い。異常値や異常所見が認められることと,だからわれわれが何をすべきかとの間には多くのパラメータが介在するが,ことに「時間の概念を『込み』にしない と,ぼくらはしばしば間違える」。
この本には,柔軟かつ率直でしかもエネルギッシュな思考を共有する喜びがある。示唆に富み,働くところは異なろうとも著者と同じく自分が臨床医であることを誇らしく思いたくなる力強さがある。これから先,わたしは本書を何度も読み返すことだろう。
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