植民地時代のアメリカには医学校がなく、自宅でお母さんが薬草を煎じたりして治療していました。ヨーロッパで医学を学んだ人がわずかにアメリカに来ている程度だったのです。1856年にフィラデルフィア大学、後のペンシルバニア大学にはじめて医学校が創設されました。19世紀には22の医学校ができたのでした。カーネギー財団の委託を受けたエイブラハム・フレクスナーが核医学校を評価したのでした。1909年から155のアメリカ・カナダの医学校を調査したフレクスナーの報告書は大きな反響を呼びました。医学校は喜んで協力しました。カーネギー財団からの寄付があると勘違いしたのです。
1910年に報告書は完成したのですが、これがコテンパンな批判で、アメリカの医学校の名誉は泥にまみれたのでした。フレクスナーは155も医学校なんて要らん。33でよい、とすら述べました。結局多くの医学校は廃校となり、その数は85になりました。
このような紆余曲折を経て、アメリカの医学教育は整備されてきました。
ご承知のように、アメリカの医学部は4年制でして、別の学部を卒業してから入学しますから、ぜんぶで8年間の大学生活ということになります。例外的なファーストトラックもあり、ぼくの同期の研修医は6年間で卒業していました。
日本でもアメリカのようなメディカル・スクール制を導入すべきだという意見があります。日本の医学生は18歳でまだ成熟していないから、医師になるレディネスができていない、という指摘です。
ぼくは、このような意見にはクビをかしげます。だって、そうでしょう。ただでさえ長い医学部の6年間という大学生活を8年間にすることで、どうやったら人間が成熟するというのでしょう。一般に大学生を長くやっていて人としての成熟度がより増していくというロジックはなりたつでしょうか。はやく学校を出て実社会にでる人のほうがより成熟しやすいと思うのが普通ではないでしょうか。
それでなくても大学というのは世間知らずで内向きな論理が跋扈しやすい所です。よくも悪くも、一般社会では通用しないような教員が、大学で研究しているという理由でその待遇を保証されているところです。そのエキセントリシティーは研究にとっては益するかもしれませんから、こういう人を排除しない大学の鷹揚さは大切だと思います。しかし、たとえ学問的には大学に長くいる利点はたくさんあったとしても、大学に長くいることで「社会人としての成熟」が得られる可能性はとても小さいと思います。
ぼくの知っている国では、イギリスとかペルーは高校を卒業するとすぐに医学生になっていました。ぼくはマンチェスター大学医学部の聴講生をしていたことがありますが、彼らは成熟度においてまったく問題はなかったですし、イギリスの医師が未成熟な集団だなんて聞いたことがありません。ペルーの場合、ぼくは1999年に大学病院で1カ月研修を受けました。ペルーの医学部は高卒後8年制で、最後の2年間は実質上日本で言う初期研修みたいなものでした。概ね医学生は優秀で成熟しており、大きな問題を感じなかったものです。
2009年に新型インフルエンザが流行したとき、アメリカではオセルタミビル(タミフル)をあまり処方せずに死亡者数が多く、日本ではタミフルをたくさん出して死者が少なかった。だから、日本がタミフルを出すのは正しい、という妙な三段論法が持ち出されたことがありました。
しかし、タミフルをルーチンで出していなかったオランダ、フランス、ドイツなどでも死亡率は日本と大差なかったのです。アメリカだけをみて外国とか「欧米」とネーミングしてしまう誤謬は、近年ではやや減ってきたように思いますが、このようにときどき散見されます。
同じように、アメリカでメディカル・スクール制をとっているから、日本でもというのはアメリカを常にデフォルトで考える「前のめりな」悪い癖です。他の国も見て、相対的に評価しなければなりません。
ここだけの話、ぼくの目にはアメリカの医師ってそんなに成熟しているようには見えませんでした。すぐにさぼったり、不平不満を言ったり、トラブルを起こす医師もいました。あるヨーロッパの国から来た医師は、アメリカ人は「子供っぽくて未熟だ」と評価していました。見る視点が変われば評価も変わるのです。
確かに、日本の医学生が成熟度を欠いていた側面はあると思います。正直言って、ぼくが医学生のころは、「この人、医者になってもいいのかな」という人が少なからず学生に交じっていました。まあ、ぼくも人のことは言えませんが。受験戦争まっただ中でテストの成績が評価の基本基準であった時代、学力さえ高ければ人格や成熟度がまったく欠けていても医学部に入学できたのです。また、多くの高校も「偏差値が高い」という理由だけで明らかに適性のない高校生に医学部受験を勧めました。
しかし現在、少子化が進み、かつてのような「戦争」的受験地獄はなくなりました。「よい大学」に入ることは相対的には困難ではないですし、またその価値も目減りしました。そもそも、よい大学に入ったとしてもその後の就職、人生の成功が約束されることはなく、もはや右肩上がりの人生観は日本では通用しないのです。よい大学に入り、大きな企業に入ればよいことが起きるいう「右肩上がりの時代」の幻想を今でも親の世代は抱いており、そのため日本では学生が(親が)希望する会社に就職できず、中小企業やベンチャー企業は常に人不足という奇妙な捩れ状態が続いています。
初期研修で医局に残る医師が減少したこともあり、かつてほど「卒業大学」によって医師が差別されることもなくなりました。初期研修制度のマッチングで明らかに人間的に問題のある医学生はふるいにかけられるようにもなりました。ぼくは、この10数年、日本の初期研修医たちは人間的により成熟し、コミュニケーションスキルに長け、医師としての適性も満たしている人が増えてきたように考えています。そうすると、この医師不足の現代日本において、あえて卒業年次を2年繰り下げてメディカル・スクール制度を導入するインセンティブはどこにあるのでしょう。
さて、アメリカでも世界でも、医学教育のしくみはどんどん標準化されていこうとしています。世界医学教育連盟(WFME, World Federation for Medical Education)は2003年に医学教育機関の国際基準を公開しました。さらに、アメリカのECFMG(jEducational Commission for Foreign Medical Graduates)は2023年以降、国外医科大学卒業生がアメリカの医師国家資格試験(USMLE)を受験する際、アメリカあるいはWFMEの医科大学認証評価機構の認証を受けていないと受験資格を与えないことになっています。聞く所によると、現在の日本の医学部では基準を満たす所は少なく、将来的に日本の医学生はアメリカでの診療から締め出されてしまう可能性があるとのこと。
吉岡俊正 「医学教育の国際標準」 JIM 2012;22:24-26
なんだかなあ、というのがぼくの感想です。
アメリカはこれまで、自分の国の医療従事者数を充足させ、医師不足を解消する目的で外国人医師に門戸を開いてきました。internatinal medical graduate, IMGと呼ばれる外国人は、一定の試験を合格して資格を取ればアメリカで医師として臨床研修を受け、ビザなどの障壁を乗り越えればアメリカで医師として仕事をすることができたのです。
しかし、アメリカの「グローバル・スタンダード」な基準を満たさない医学校からはIMGを採用しない、という方針であれば、今後はアメリカ的な医学教育を受けた外国人のみがアメリカに行くことができることを意味しています。
もったいないです。
ぼくがアメリカでないか研修医をしていたとき、なんといっても勉強になったのは多種多様な医師たちがそこにいたことでした。そこで、イギリス人医師がいかに身体診察が上手であるか、ドイツ人医師がいかに少ない検査で診断しようと努力するか、イランから来た研修医は、母国で医学書が入手しづらいからハリソンの海賊版を5回も通読し、内容もそのページ数もかなり暗記しているほどでした。そんなタフな勉強をしているアメリカ人医師がいったい何人いるでしょう(いわんや、日本人をや)。その優秀な研修医はある日、患者が急変して気管内挿管をしたのですが、「気管内挿管は麻酔科医の仕事だ」とその管を上級医に抜菅され、そして麻酔科医が呼ばれて再挿管になりました。「アメリカ医療ってアタマおかしいんじゃない?」とぼくとこの研修医はグチをこぼしたものでした。こうして、多様な価値観を持つ医師たちが集団を作っていたから、よくも悪くも極端に流れがちなアメリカ医療を相対視できたのです。
そして、このような多彩なバックグラウンドを持った多彩な集団だから、議論は深まり、新しい価値は生まれていくのです。そもそも、アメリカというのは、こういう他者を受け入れることでドライブしてきた国ではなかったでしょうか。それがもし、アメリカ的なアメリカの価値にドップリつかった医師ばかりを外国から集めるようになったら、この「豊かさ」はなくなってしまいます。他者との対話がなくなり、同質的な人たちばかりが集まるようになります。そう、「タコ壺」の世界観です。
アメリカは、自らを覇権国にしたその強固さの源泉を忘れてしまい、標準化(グローバル・スタンダード)という価値観に満たされて完全に思考停止に陥っています。このことは、アメリカ医学教育の没落につながるというのがぼくの意見ですが、さてどうなることやら。
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