河合隼雄の生前には僕は彼の本をほとんど読んでいない。フロイト、ユングという心理学の大家の流れに違和感を感じていたというのが大きな理由だろう。死後、その語り口を見るにつけ、もったいないことをしたなあ、と反省する。
河合隼雄のよさはその「語り口」にある。口調こそが大切なのである。ここでも、思春期までの子育てのアドバイスであるが、そこには「専門家の」偉そうな押し付けはない。いや、「ニセの専門家は、すぐえらそうに、あれをせよ、これをしなさいと言うからすぐにわかります」(175ページ)と一刀両断である。子育てや発達心理学のようなエビデンス希薄な領域において「断言」することがいかにプロフェッショナルな倫理や自分の専門領域のプライドからかけ離れていることなのか、心底理解されているのだと思う。
ニセの専門家は本当に多い。彼らの語り口は常に断言口調である。これはよい、これはだめとさしたる根拠もなく断言する。そこからこぼれおちた人間には冷淡である。本当の専門家はアノマリーも許容できるものなのに(ある程度は)。「ほんとうの専門家なら「心配しないように」と言ってくれると思います。ニセの専門家というか、「平均と違うからあなたのところは問題だ」と言う人もいるので困るんですが。ちゃんとした人なら、「これぐらいのズレは大丈夫です」と言ってくれると思います」(97ページ)。
このくらいのズレなら大丈夫、と毅然といえるのが本物の専門家なのだと僕も思う。ズレを一切許容しないのは、知識の深みが足りず、カテゴリーで善悪を断罪するしかできない「ニセもの」なのである。
河合隼雄のよさはその「語り口」にある。口調こそが大切なのである。ここでも、思春期までの子育てのアドバイスであるが、そこには「専門家の」偉そうな押し付けはない。いや、「ニセの専門家は、すぐえらそうに、あれをせよ、これをしなさいと言うからすぐにわかります」(175ページ)と一刀両断である。子育てや発達心理学のようなエビデンス希薄な領域において「断言」することがいかにプロフェッショナルな倫理や自分の専門領域のプライドからかけ離れていることなのか、心底理解されているのだと思う。
ニセの専門家は本当に多い。彼らの語り口は常に断言口調である。これはよい、これはだめとさしたる根拠もなく断言する。そこからこぼれおちた人間には冷淡である。本当の専門家はアノマリーも許容できるものなのに(ある程度は)。「ほんとうの専門家なら「心配しないように」と言ってくれると思います。ニセの専門家というか、「平均と違うからあなたのところは問題だ」と言う人もいるので困るんですが。ちゃんとした人なら、「これぐらいのズレは大丈夫です」と言ってくれると思います」(97ページ)。
このくらいのズレなら大丈夫、と毅然といえるのが本物の専門家なのだと僕も思う。ズレを一切許容しないのは、知識の深みが足りず、カテゴリーで善悪を断罪するしかできない「ニセもの」なのである。
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