教育者のアウトカムは、教育者自身の通俗的なアウトカムで測られるのではなく、教え子の出したアウトカムによって測られる。そう僕は思っている。感染症業界ならば喜舎場先生の功績の大きさは、その教え子たちの活躍の度合いで推し量ることができる。地域医療であれば五十嵐正紘先生であろうか。こと教育者に関する限り、履歴書的なデータではその人の真の価値は分からないのである。そういう「教え子が出すアウトカム」という観点から言うと僕も結構サクセスフルな教育者であると思う。彼らの活躍を見ていると、もうそろそろ教育から足を洗っても叱られないだろう、なんて思うけれど、福井の寺澤先生から「大学は10年はいないと辞める資格はない」と厳しい訓示(呪い?)をいただいているので、まだ辞められない。
そのような観点から僕がもっとも注目する教育者の一人が吉田松陰である。桂小五郎、高杉晋作、久坂玄瑞、山県有朋、伊藤博文、、、教え子のアウトカムという観点から言うとこれだけ巨大なアウトカムを出した教育者は極めてまれであろう。
一昨年あたりから注目しているリーダーシップ論で、リーダーを輩出するリーダーを考えたとき、真っ先に浮かんだのが吉田松陰だ。その生涯について学んでおきたいと思いながらついつい月日が過ぎていた。ここ数日で以下の本を読んだ。
松陰自身にはさしたる功績がない。直情的な性格で政治的な失敗も多い。非常な勉強家で頭脳明晰だったらしいが、一方、アメリカ船に乗り込んでやろうなどという無茶な計画をトライして失敗するなど、「熟慮の足りない」タイプみたいだ。そして30歳の若さで処刑される。そしてその処刑が教え子たちの魂に消えない灯をともし、激動の時代の幕開けとなる。
吉田松陰がいなかったら明治維新は起きなかったか?それは分からない。しかし、吉田松陰がいなかったら、今僕らが知っているような形での明治維新は起きなかっただろう。それは間違いない。
教育者にとって大切な要素はたくさんある。松陰は「教える」というより人の心に火をつけるタイプであったと思う。そしていったん火のついた教え子をディスカレッジしない。高杉晋作は吉田松陰の教えを受けなくても高杉晋作のままだったかも知れない。多くの教育者の「功績」とされるものは、教え子の素養によるものが大きい。勘違いには要注意である。しかし、松陰が彼に火をつけ、自由に走らせたことで彼の背中に羽根が生えたのだろう。現在の日本の教員の多くは、こういうことができない。火をつけることもできないし、自由に走らせることもできない。それどころか、教え子を支配し、管理し、ひどいときには足を引っ張ったり、己の出世の道具にしようとしさえすることすら、ある。
吉田松陰の教え子たちは自律した人物たちである。師匠のコピーではない。師匠の魂は引き継いだが(だからその死には慟哭し、遺体を奪回した)、生き方を真似たりはしなかった。師匠の短慮に苦言を呈し、その計画を中止させたりもしている。吉田松陰は彼自身のコピーを育てようとはせず、桂小五郎や高杉晋作が桂や高杉であるよう尽力したのだ。コピーはオリジナルを凌駕できない。自分のコピーや召使いを育てようとする日本の大学教員の奇妙な風習は厳に戒められるべきだ。師が間違っているとき、それに気づきながら、その間違いに追随するだけの教え子ばかりであれば、その教育者は失敗している。
ところで、山岡荘八の描く吉田松陰は率直に言ってあまり魅力的な人物とはいえなかった。「留魂録」と比べるとそれが際立つ。これは松陰の一途な性格が今の時代から見ると「ひいてしまいそう」な部分もあるが、むしろ山岡自身の狭量がもたらしているもののような気がする。僕が子どもの時は書棚に「徳川家康」が並んでいて、面白く読んだものだが、今の目で見ると山岡のあまりに過剰な日本中心主義や精神主義、日本人は世界一優秀で西洋人は野蛮なバカ、、的な世界観は正直言ってウザイ。この小説が本になったのは1960年代。時代のせいもあるのだろうが、今でも司馬遼太郎や池波正太郎、藤沢周平が好んで読まれているのを考えると、この特定の著者そのもののキャラによるものなのかもしれない(わかんないけど)。
最近、すごく自覚しているのだけれど、僕は狭量さに対してとても狭量な人物である。了見の狭い人間を見ると虫酸が走るのだ。了見の狭い人間はすぐに二項対立に走る。あれか、これかとすぐに迫る。ワクチンはいいか、悪いか、みたいにね。ああいう単純バカをみると(ごめんね、虫酸が走っているので)、本気でむかついちゃうのである。ああ、むかつく。
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