院内感染対策は専門性、総合力、そしてビジョンの問題
岩田健太郎
神戸大学医学部附属病院感染症内科
2010年9月9日の産経新聞によると、厚労省は「帝京大病院の多剤耐性アシネトバクターによる院内感染問題や国内で新型の耐性菌が検出されていることを受け」、多剤耐性菌の発生動向把握のための具体策の検討を始めたという。
厚労省が耐性菌の問題に注目することそのものには、特に問題はない。問題は「発生動向把握」のために策を練るという目的にある。
我が国の奇妙なところは、何か問題が生じると早急に何らかの対策を立てなければならない、と浮き足だってバタバタと走り出してしまうことにある。感染症対策、高齢者の戸籍問題など、ほとんど全ての問題が同じパターンで、同じ構造で、毎度毎度繰り返される。騒ぎ立て、「何とかしろ」というマスメディアとそれに呼応して政治的に正しく振る舞おうとする政治家が、「早くしろ、対策を立てろ」と急き立てるのである。我が国の官僚は常に多忙であるが、その割に生産性が低いのはこのような脊髄反射的な仕事に追われているためである。
すでに多剤耐性アシネトバクターは全国の多くの医療機関で検出されていることが分かっている。同等の耐性を持つ緑膿菌も、その他のグラム陰性菌も普遍的に日本中の病院に存在することは我々専門家は「昔から」分かっている。報じられたNDM-1産生菌についても、特に他の耐性菌と本質的に異なったり、対策に違いがあるものではない。つまり、日本の耐性菌問題は何年も何十年も恒常的に継続されている慢性的な問題なのである。慢性的な問題に可及的速やかな対策をとる根拠は二つしかない。メディア対策と政治的自己満足である。そこでは病院の医療者やそのユーザーたる患者の利益はまったく顧慮されていない。
なぜ、耐性菌の動向を把握するのか。この質問を先日、厚労省結核感染症課の官僚に尋ねたが、「それは耐性菌の状況を把握して情報提供し、耐性菌対策の助けにするためだ」と立て板に水のような「模範解答」が返ってきた。しかし、そのような机上の観念と現実は(他の多くの医療行政がそうであるように)かなりの乖離がある。
すでに耐性菌の報告システムは日本に存在している。例えば「感染症の予防及び感染症の患者に対する医療に関する法律(いわゆる感染症法)」では、1999年より耐性緑膿菌の定点報告を義務づけており、その発生動向を調査している(2003年より5類感染症)。
しかし、この報告が医療現場の助けになることはほとんどない。なぜなら、耐性菌の情報とは「全国がどうなっていますよ」という情報ではなく、「うちの病院ではこうですよ」「私のいる病棟ではこうですよ」という情報こそが大切だからだ。こういう情報を我々はローカルな情報と呼ぶ。だから多くの病院では「アンチバイオグラム(病院や病棟における耐性菌情報)」を作成して、実地診療に役立てている。
では、行政として耐性菌の発生動向を把握する意味はないかというとそんなことはない。多剤耐性緑膿菌(MDRP)は日本で承認されている抗菌薬が全く効かない耐性菌である。したがって、その発生動向を調査すれば日本でこの菌が普遍的に検出されているリアルな問題であることが即座に理解できる。もし耐性菌情報を現場の医療に活かそうと官僚が本気で考えているのなら、「これではいかん」とMDRPの治療薬の緊急承認や普及に尽力を尽くすのが筋であろう。
しかし、厚労省はこれまで「耐性菌対策と医薬品承認・審査は担当が違う」「製薬メーカーから申請が来ていない」という誠に「官僚的な」言い訳で知らんぷりを決め込んでいた。対策もとらず、ただ病原体を届け出させて数を数えているのなら、これは子どもの夏休みの絵日記と同じである。「今日はとんぼを2匹見つけました」と日記に書くのと構造的に同じだ。
得られた情報に呼応する対策が講じられない限り、病原体の「届け出」には意味がない。それは「対策をとっていますよ」というポーズ、アリバイ作りにしかならない。あるいは研究者の研究材料にしかならない。現場の医療者は、そして患者はひとつも得をしないのである。
感染症対策の先進国であるオランダでも届け出感染症は存在する。ただし、「届け出することで対策をとり、公衆衛生的な介入をかけ、そして減らすことが可能な」感染症のみが届け出義務を有している。しかも、多忙な医療者の便宜を図り、報告は電話でもファックスでもメールでもOKである。これに対し、日本の感染症では多くの場合、「届けて何をするか不明瞭な感染症に」報告義務を課している。例えば、「急性ウイルス肝炎」には届け出義務があるが、急性肝炎を報告しても肝炎は絶対に減らない。もしウイルス性肝炎を本気で減らしたいのであればキャリア(ウイルスを有するが症状のない場合)の数を調べなければならないのだ。日本の届け出用紙は記載事項が多く、これも現場の医師には評判が悪い。デング熱の届け出をするのにどうして患者の住所や氏名が必要なのか。ヒトーヒト感染をしないデング熱の場合、発生数さえ把握できていれば感染対策上問題はない。感染対策を何故やるのか、という根源的な理由を理解しないまま多くの保健所は「報告を受けたので」という理由で患者の家に電話をかけて「情報収集に」あたっている。対策に寄与しない不要な個人情報の漏洩である。
このように、日本では感染症発生動向把握に対するビジョンやプリンシプル(原則)がないのである。動向を把握してどうしたいのだ?という目標がないのである。ただ場当たり的にメディアに呼応し、それを報告させて対策をとっているふりをする。これが重なって現場はますます疲弊するという構造である。
繰り返すが、日本の耐性菌問題は昨日今日起きた緊急の問題では決してない。長い間、我々専門家が必死で取り組んできた慢性的な問題である。プロが長い間取っ組み合ってきた問題であるということは、この問題に「イージーなソリューション(解決策)が存在しない」ことを明白に示唆している。イージーなソリューションがない問題に、安直な届出制度を作ることで「解決してしまったふり」をしてはならない。
耐性菌の問題は、耐性菌の数を数えたからといって解決するわけではない。検査の方法、日常の抗菌薬の適正使用、病棟における感染対策、そして耐性菌感染症の治療戦略など、たくさんの施策を重層的に駆使して対策する。病院の総合力が大切なのである。ならば厚労省がもっとも心を砕くべきは病院の総合力アップのための施策である。それは病院で感染症のプロがフルタイムでコミットしやすい施策であり、病棟が安全に運用されるための施策であり、抗菌薬が適正に使用される施策でもある。
一方、病院は「耐性菌対策のため」に存在するわけではない。過剰な耐性菌対策はコストもかかるし日常診療を圧迫する。日常診療を円滑に進めつつ、適切な感染症対策を継続する「塩梅」が大事になる。塩梅、微調整が必要となる問題については専門家がよくよく現場を俯瞰して、その場その場の「妥当な振る舞い」を決めなければならない。中央が一意的に計画書をたてるような対策法は、「塩梅」の重要な院内感染対策にはそぐわない。ことあるごとに厚労省や保健所が調査に入るような「労多くて益少ない」対策だけはごめん被りたい。
厚労省は何も慌てる必要はない。時間をかけるべきである。まずは多種多様な感染症の専門家の意見をじっくりと時間をかけて聞いてほしい。そしてなによりもまず最初に、我々はどのような院内感染のあり方を目指しているのか、ビジョンを明確にすべきである。病院が病院である限り院内感染はなくならない。なくならない、という前提でどこまでの対応が妥当なのか「塩梅」探しの模索をすることこそがビジョンの追求である
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