梅毒を制するもの、医学を制す
He who knows syphilis, knows medicine.
だったかな。そういったのはウイリアム・オスラーだったと思います。頭の先からつま先まで様々な症状を示す梅毒はまさに内科の王様と呼んでもよいでしょう(もっとも、HIVもこの点では負けていませんが)。
ところが、その内科の王様梅毒があまりきちんと勉強されていません。感染症は甘く見られているためです。ハリソンの内科学ではもっともページが割かれている感染症領域ですが(本当です)、その感染症が一番ほったらかされているのです。
特に問題なのは検査です。検査の解釈がしばしば間違っています。検査の適応もずいぶん間違っています。そして、検査の部分で間違っているので、その結果治療の部分でも間違ってしまうのです。治療薬の使い方も検査に基づいて決断されているためです。要するに何から何まで間違ってしまうのです。
検査の解釈の間違い、というのは、換言すればアセスメントの構築の方法論が根本的に間違っている、ということになります。が、ここまでいくとちゃぶ台ひっくり返し状態になって収拾が付かなくなりますから、ここではほったらかしておきましょう。
では、梅毒検査をどう考えましょう。
まず、梅毒検査が最も多く行われているのは、どういう状況でしょう。これは施設間でも違いがあるでしょうが、たぶん、この2つがツートップ、いや、トップツーでしょう。
1.術前に何となく
2.とりあえず、何となく
どうです?皆さんの勤める病院でも五十歩百歩ではないでしょうか。
しかし、全ての検査について言えることですが、本来、検査とは
・その疾患を疑っているとき
検査すべきなのです。従ってこの場合では、
・臨床的に梅毒を疑っているとき
ということになります。
決して「なんとなく」「とりあえず」という理由で梅毒検査を行ってはいけません。そして、術前のルーチン梅毒検査は不要です。これから、その理由を説明します。
黒澤明の「静かなる決闘」という映画があります(岩田未見)。三船敏郎演じる医師が針刺しで梅毒になって悩むという映画だそうです。黒澤映画って男女関係の描き方が古いなあ、とよく思いますが、それはまた別の話。
しかし、針刺しによる梅毒の感染はまれです。特に無症状(潜伏梅毒、latent syphilis)の場合はほとんどおきないと考えられています。だから、無症状の患者の梅毒検査をルーチンでやることは、外科医の防御には役に立たないのです。
ただし、有症状の場合は、感染の報告はあるようです。下記は神経梅毒患者からの針刺し感染です。診断の付いていない神経症状、皮疹、熱などがあれば要注意。
Franco A et al. Clinical case of seroconversion for syphilis following a needlestick injury: why not take a prophylaxis? Infez Med. 2007 Sep;15(3):187-90.
でも、術前にそういう症状がある患者ってまれですし、多くの場合は診断が付くまでオペ延期になります(例外もあるでしょうが)。まれなものはまれ、一般論と例外論は区別するのが臨床現場での大事な態度です。逆にいうと、針刺しで感染する「可能性」のある病原体はもっともっとあるのです。パルボウイルスとか、マラリア原虫とか、クロイツフェルツヤコブ病の原因と考えられている(異論もありますが)プリオンとか。でも、こういうのを全部、全ての患者にオペ前に調べるのは、ややナンセンスですよね。
針刺しで(起こったときに)調べるべきはB型肝炎、C型肝炎、そしてHIVです。これらが針刺し感染の大多数を占めているのです。HIVは1985年から1999年までに米国で136ケースのHIV感染を起こしたかも、と見積もられています。HBVにいたっては、米国では1995年だけで800人の感染を起こしたそうです。日本だと予防接種を打っていない医療者も多いですから、そのリスクはもっと高いかもしれません。HCVについては正確な数は不明ですが、毎年米国で何千人という規模で感染を起こしているようです。
NIOSH. ALERT. Preventing Needlestick Injuries in Health Care Settings. 1999
http://www.cdc.gov/niosh/2000-108.html#1
HBV, HCV, HIVに対する術前ルーチンワークアップの是非についてはいずれ機会を見て議論しますが、少なくとも、梅毒についてはルーチンではやる必要はないと私は考えます。
さて、これが原則です。この原則を理解できれば、現在病院で行われている梅毒検査はほとんど不要だと言うことが分かります。
梅毒の検査はあくまで臨床的に梅毒を疑った場合にやりましょう。原因不明の皮疹に「とりあえず」ステロイドを塗布したり抗ヒスタミン薬を出す前に、梅毒検査を考えましょう。原因不明のせん妄や認知障害。梅毒を考えましょう。こういうケースで意外に検査してないんだよな、まったく。
さて、梅毒検査の解釈は結構面倒です。その話を次回からしましょう。
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