プロの感染症コンサルタントと、感染症治療の「得意な」ドクターの違いは、コンサルテーションのスキルなどにも現れますが、一番の違いは知識の「質」と「幅」だと思います。
感染症治療が得意なドクターは、例えば、敗血症を瞬時に診断し、治療することができます。14日間の抗菌薬で患者を治療します。抗菌薬はこれこれを使います。治療成績もよく、彼(女)は優秀な診療医です。
しかし、これだけではプロの感染症屋とは呼べません。
プロの感染症屋は、「自分のプラクティス」が妥当でまっとうで正当なことを知っています。でも、それだけでは足りないのです。「自分がやっていないプラクティス」の妥当性、まっとうさ、正当性も評価できなくてはいけません。
「おれはいつもセプシスは14日間治療しているんだ。何でおまえ、7日間で抗菌薬を切ってしまうんだ、このバカ」
という指導医がいたら、感染症治療は得意でも、プロの感染症屋ではありません。ちゃんとガイドラインを見れば、敗血症の治療は7-10日が典型です。もちろん、14日が「間違っている」わけではありません。しかし、「自分のやり方」が正しく、「それ以外」が間違っている、という世界観にとらわれてしまうと、この「正しさの幅」が理解できなくなってしまいます。こんな人がコンサルタントになってしまうと、
「俺がやっていないことはみんな間違い」
というゆがんだ世界観にとらわれてしまうのです。
「俺だったらこうはしない。でも、これもまたオーセンティックなやり方」
とヴァリエーションを認める知識の深さと度量が要ります。浅はかな知識はプロにとってもっとも戒めるべき誤謬なのです。多くのコンサルタントが、「自分のプラクティスが正しい」ことと、「それ以外は間違っている」ことが同義ではない、ということに気づかず、要らないコンフリクトを生じ、そしてコンサルティーを批判します。
こうなると、consultではなく、insultになってしまうのです。
プロとアマチュアの差は深遠なものです。このあいだ、福井大学の寺澤先生にレクチャーの方法について指南を受けました。福井先生はすばらしくて、全ての講演に対してヴァリエーションの異なるレクチャースライドを用意されています。で、
「おお、そういえば亀田総合病院では3年前にレクチャーしていたな、これがそのスライドだ。今回は、ここは重複しても初期研修医は入れ替わっているからいいだろう。でも、全部同じだとリピーターは退屈するから、新しいスライドを入れよう」
と直します。全ての講演にオリジナルのスライドをいくつか入れ、その地や施設に敬意を払っています。
プロだ、、、
レクチャーの時間にも厳密です。特に複数のスピーカーがいるときは、時間延長は御法度です。寺澤先生は最後までスライドをこなさなくてもその時間できれいに終えることができるように、同じスライドでもいくつかの終わりのヴァリエーションも持っているのだそうです。
本当に、プロですね。
数年前、亀田総合病院が後期研修医のための1日セミナーというのを開いたことがあります。そのとき、たまたま偶然亀田を来訪していた某大学の某教授が、「俺にもしゃべらせろ」と割り込んできたことがありました。
「あれ?昨日しこんだアニメーションが上手く動かないな、これ、すごいアニメなのに、昨日は上手くいったのに、、、」
とぐだぐだすること数十分。寺澤先生のようにレクチャー上手な教授は希有で、たいていの教授の話はつまらない。つまらない話が長いくらい苦痛なことはないですが、その日がまさにそうでした。散々時間延長するものだから、後の話者は調整にとても苦労したものでした。
アマチュアは自分のしゃべりたいことを自分のしゃべりたいペースでしゃべります。プロは相手の聞きたいこと(あるいは聞くべきこと)を相手の心地よいペースでしゃべります。その差は小さいようでとても大きいのですが、ほとんどの大学の教授はそれに気がついていないように見えます。
スポーツの世界でも、音楽の世界でも、どこの世界でも、プロとアマチュアの差は圧倒的で、比較するのがばかばかしくなるくらい圧倒的です。感染症のプロになりたいと思っている若いドクターも、「自分が正しくできる」だけでは、ノンプロの感染症屋なのだ、と謙虚に精進することが大事です。実は、一見手が届きそうな山頂は全然まだ見えていないことが多いのです。
うわ、、説教くさ、、、と我ながら思います。もうおじさんです、、、、
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