岩田健太郎といいます。もうすぐ50歳になるおっさんです。感染症を専門にする医者でもあります。
この文章は、「成人式には行かないで」というお願いの文章です。
なぜ、そのような文章を皆さんに読んでいただきたいのか、今からその理由を説明します。
理由は新型コロナウイルスです。このいまいましいウイルスがいなければ、我々は毎年行っている楽しい行事を楽しくとりおこなうことができたのです。が、残念ながら今はその時期ではありません。すべてはこのウイルスのせいなのです。
一生一度の大事な成人式、たかだか風邪の親戚みたいなウイルスごときで、止めにするなんて嫌だよ。そんな意見もあることでしょう。
でも、一生一度の大事な成人式だからこそ、ここで一歩踏みとどまってもらいたいのです。
すでに、年末年始に帰省した若者から、家族親戚に感染した事例が兵庫県でも複数見つかっています。確かに若者にとってはこのウイルスはほとんど「ただの風邪」でして、ちょっとした症状がでなかったり、しばしばなんの症状も起こしません。
が、皆さんのご両親や、祖父母の方々は違います。
ICUと呼ばれる集中治療室に、そうした、子供や孫から感染した新型コロナウイルス感染症の患者さんが今も入院しています。いったん重症化したコロナの患者さんはすぐには退院できません。呼吸ができないからです。喉にチューブを差し込んで、機械で酸素をチューブ越しに押し込まねば死んでしまうのです。いや、そのような呼吸サポートをしても、少なからぬ患者さんは長い闘病期間の末に死んでしまいます。もう、日本では4千人以上の方がこのようにして死んでしまいました。非常に残念ながら、もっとたくさんの方がこれから死にます。
想像してみてください。もし、みなさんのご両親やおじいさん、おばあさんが「あなたが」持ち込んだウイルスのために病気になってしまったら。それが理由で長くて苦しい重症治療を受け、場合によっては死んでしまったら。それがもし、成人式がきっかけになったものであったならば。
ぼくだったら、そんな体験をしたら悔やんでも悔やみきれないことでしょう。なにしろ「一生一度の成人式」なのです。何十年たっても、その成人式を苦い思いで振り返らねばならなくなるでしょう。
学校は通常通りやっているのに、なぜ成人式だけだめなんだ?うちは田舎だから大丈夫。成人式では万全の感染対策をとっている、と市長は言ってるぞ。こんな意見もあることでしょう。
はい。そういう意見はすべて正しいです。しかし、想像してみてください。皆さん、若者の最大の武器は「想像する力」なのですから。
ぼくは島根県というとても小さな県の出身です。人口が1万に満たない町で育ちました。外に出ても人なんてパラパラとしかいない、普通の生活でそのまんまソーシャルディスタンスができている町です。
こういう町では新型コロナウイルス感染はほとんど流行しません。だから、生活も普通にできます。周りに人がいないので、多くの場合はマスクすら不要です。
でも、そういう町の若者たちの多くは、都会の大学に行ったり、都会で就職しています。広島とか、大阪とか、東京に行くのです。
そして、成人式のために連休に帰省します。
なるほど、成人式の感染対策は「バッチリ」かもしれません。でも、そのあとで「久しぶりにあったんだから、ちょっと飲みに行かないか」という話になるかもしれません。もう、お酒も飲めるんだし。居酒屋じゃなくたって、友達のうちに集まることだってできるでしょう。久しぶりの旧友にあえば気も休まります。それでなくても、この1年は気が休まらなかった1年だったのですから。大声で近況を知らせ合う、ということも十分にありそうなことです。昔からの友達に会えば、ハメを外したくなるのが人情です。
そうやって都会から持ち込まれたウイルスが田舎で広がります。なにしろ、若者にとっては新型コロナウイルスは「ただの風邪」。症状はないか、あってもたいしたものではないからです。元気に帰省した若者が、田舎の旧友に感染をうつすのです。静かに、あたかもなにも起きていないかのようなふりをして。
その持ち込まれたウイルスは、そうやって田舎に住む若者に、そしてその若者の家族に伝播していきます。
新型コロナウイルスは、この100年間に人類が経験した中でも最強、最悪のウイルスです。ぼくは感染症のプロなのでありとあらゆる世界中の感染症と取っ組み合ってきましたが、こんなたちの悪いウイルスは経験したことがありません。人々を油断させ、「ただの風邪」だと思わせ、世界中に、そして日本中にウイルスを撒き散らし、確実に多くの人たちを殺していきます。油断した人間を使ってウイルスを拡散させるのです。
美容院や呉服店にとっては年に一度の稼ぎどきなのだ。経済を回さなければいけない。そんな賢しらな大人の言葉を聞いたことがあるかもしれません。
もし、みなさんが「経済を回すこと」に関心があるのなら、とてもよい心がけです。ぜひ、じゃんじゃん回してください。美容院にいって髪をセットしてもらい、着物を新調してください。写真館に行って、記念写真をとってもよいでしょう。そうすれば経済は回せます。群れを作らないと経済が回らない、というのは想像力を失い、過去の自分の体験でしかものを語れない、ぼくのようなじーさんやばーさんの発想です。想像力豊かなみなさんなら、群れなくてもできる「経済を回す」方法をいくらでも思いつくことでしょう。
今日は1月10日だ。予定はもう立てている。もう決まったことなんだから、今更キャンセルなんてできない。そういう声も聞こえてきそうです。
でも、今からでも十分に間に合います。危機的な状況下では、瞬時の判断変更、方針転換は大事だし、必要なのです。
僕が心から敬愛するサッカー選手に、アンドレス・イニエスタというスペイン人がいます。世界最高の選手の一人です。神戸でプレーする彼の長所は山程ありますが、識者によると、特に素晴らしいのは「最後の最後で判断を変えることができる」ことなのだそうです。
普通のプレーヤーは、右にボールを蹴ろうと思ったら、そういうふうにしか体を動かせません。ところが、イニエスタ選手はギリギリの蹴る直前に、「いや、別なプレーのほうが良い判断だな」と考え直し、ドリブルをしたり、別のプレーに切り替えるのです。ギリギリのタイミングでの判断ですので、敵方の選手たちは対応できません。
ぼくは去年の2月にダイヤモンド・プリンセス号というクルーズ船に入ったことがあります。そのとき、ある厚労省の官僚に感染対策の不備を指摘したのですが、彼は不満そうな顔でぼくにこう言いました。「だってもう、決めたことだから」。
もう決めたのだから、判断は変えられない。それは危機管理の考え方としては間違っているのです。いついかなるときでも、「決めたこと」の方針転換ができる、より正しい判断で危機を回避する。本来であればこれこそが「大人」のとるべき判断だと僕は思うのですが、非常に残念なことに日本の感染対策は必ずしもそうなっていない、と申し上げざるを得ません。
ぼくがネットで調べたところによると、日本の成人式は1949年にできた比較的新しい習慣で、1月にやる必然性もとくにないのだそうです。ですから、もっと感染症が下火になり、比較的安全な状態を待ってから成人式を行うことだってできるのです。「もう決めたこと」と決めつけずに、ちょっと延期したってバチは当たりません。一生一度の成人式、是非後悔のない、何十年たっても楽しく振り返ることができる式にしていただきたいと、心の底から願っています。
最後になりましたが、成人される皆さんに心からお祝いの言葉を申し上げます。そして、皆さんの前途にある社会が、世界が、未来が、いまよりずっとましなものでありますよう、お祈り申し上げます。
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