はじめに
「薬のデギュスタシオン」の第二作をお送りする。
前作同様、薬の評価は「比較」によってなされるべきだ。AとBの違いはどこか、同じところはどこか。
世に「非劣性試験(non-inferior trials)」という研究方法がある。AとBという治療法のどちらがベターか、を探索する「優越性試験(superiority trials)」、AとBは同じような効果であることを示す「同等性試験(equivalence trials)」と比較される。「Aという治療法はBという治療法よりも劣っているとはいえない」という二重否定を使うややこしい概念だ。これが否定されると「非劣性とはいえない(not non-inferior)」という三重否定になり、更にややこしい表現となる。
では、なぜこのような非劣性試験が必要なのか。
それは、薬は薬効だけでは評価できないからだ。
例えば、同じ薬効でもずっと安い薬があるかもしれない。より安い薬で同じ効果が得られるならば、そっちのほうがベターに決まっている(コスト効果が高い)。
あるいは、錠数がずっと少なくなる。注射薬が経口薬になる、といった患者の利便性における優位性も大事だ。より副作用が少なくなる、というのもいいだろう。
例えば、HIV感染症の治療薬は近年どんどん必要な錠数が少なくなり、副作用が少なくなり、長期内服を容易にしている。それはアドヒアランスの向上をもたらし、患者の予後も改善させるというわけだ。もはやエイズは「死の病」ではなく、HIV感染者は非感染者と同じ長寿をまっとうできる(Trickey A, May MT, Vehreschild J-J, Obel N, Gill MJ, Crane HM, et al. Survival of HIV-positive patients starting antiretroviral therapy between 1996 and 2013: a collaborative analysis of cohort studies. The Lancet HIV Internet. 2017 May 10 cited 2017 May 13;0(0). Available from: http://www.thelancet.com/journals/lanhiv/article/PIIS2352-3018(17)30066-8/abstract)。
というわけで、非劣性試験の存在意義(レゾンデートル)は、「既存の治療薬より劣っていないけど、ベター」な治療の吟味である。ベターでなければ、意味がない。
それなのに、非劣性試験は間違った目的で使われることもある。同等性試験や優越性試験よりもアウトカムが出しやすく、ハードルが低く、「エビデンス」としやすいからだ。抗菌薬の世界ではより高額で広域で耐性菌を作りやすく、副作用については市販後調査が不十分で「ブラックボックス」な新薬が、既存の安価で狭域で耐性菌が問題になりにくく、副作用については十分なデータのある抗菌薬と比較されて「非劣性」というやつだ。
臨床系の論文はその論文の内的な質だけを吟味するだけではだめだ。もっと遠いところから、「鳥の目」でその論文の存在意義そのものを問わねばならない。いくら精緻なデザインで巧妙な統計解析を用いたややこしい研究でも、「意味がない」論文には意味がない。
本書では気鋭の著者らが治療薬の比較をする。それは比較のための比較ではない。あくまでも臨床的に使うための比較である。「意味のある」比較である。
本書が単なる情報としてではなく、現実の診療に活用されることを心から希望して「はじめに」とする。「あとがき」は前作のものを再掲する。あれは何度でも読んでいただきたい名文だからだ(笑)。背中のファスナーを下ろすとMRが出てくるような医者たちが消滅することを心から願ってやまない。
2017年新緑の5月 岩田健太郎
コメント
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