ヨハン・ギセックの「感染症疫学」(昭和堂)を読みました。買って置いたのだけど、あれやこれやでほったらかしていたのでした。疫学については、大学院で結構学んだつもりでしたが、テクニカルなことばかりの理解で、今回の新型インフルエンザの問題で「分かっていることとそうでないことの地平」がいまいち見えづらかったです。で、本書を開いた手見た次第。
よかったです。
あまり計算式とか技術的な部分は出てこないし、統計ソフト処理も皆無。これで「理路」をきちんと示す。いままで分かったようで分かっていなかったことが明快になる。漠然と疑問に思っていた、でも専門家は口をつぐんで教えてくれない「限界点」や「制限」も見えてくる。その道の専門家は、自分の道具が「何でもできる」とアピールしがちなのが問題です。
本書の副題、感染性の計測・数学モデル・流行の構造、というのもよかったです。「流行の構造」、、、
常識という言葉が、よく出てくる。
しかし疫学とは、定義と統計に縛られる以上に常識の学問である。46頁
そして交絡因子が何かということは、前にも述べたが、結構常識の問題なのである。同上
因果関係という概念自体、問題がないわけではない。例えば、新しい家に引っ越した際に、壁に絵を掛けようとしてハンマーを使ったとき、そのハンマーで親指を強く叩いたとしよう。そのときの親指の痛みの原因は、いったい何だといえばよいのだろう。ハンマーなのか、私自身の不器用さなのか、あるいは新しい家へ引っ越したということなのか。さらにいえば、新しい家を購入し、引っ越すことを可能にした好景気なのか。はたまた、私の親指という部位における炎症反応が痛みの原因なのか。47頁
20世紀における医学の進歩は、(中略)「実験」に負うところが多い。(中略)一方疫学はといえば、大きく観察の科学ということができるかもしれない。48頁
「率」は瞬間時間を測っているものであり、かなり抽象的な概念である。92頁
「率」は、事象が一定の間隔、つまり時間に対して一定の早さで起こることを前提として計算される。生存曲線を描いてみることで、計算だけでは分からない情報を読み取ることができるという教訓でもある。93頁
時にモデルの前提となる仮説が理解しにくい場合があるかもしれないが、よい論文では、それらが分かりやすく述べられていることが多い。95頁
基本再生産数の概念はやや抽象的かもしれない。平均の基本再生産数を計算するためには、まず感染例を集団に持ち込み、2次的に感染する人の数を数える。次に感染した人を集団から取り除き、集団を完全に感受性の集団に戻した後、新たに感染者を集団に持ち込み、2次的に感染する人の数を数える。次いで、、(中略)、基本再生産数の概念はかなり机上のものである(後略) 96頁
接触をした人のうちで感受性を有する人の割合は流行の進展と共に低下する。別な言い方をすれば、最後まで感染しなかった人は、流行途上で感受性を失った人々に守られているという言い方ができるかもしれない。これがまさに「集団免疫」おちう考え方なのである。104頁
過去に新たな病気の出現だと考えられた流行も、社会の変化によってもたらされた場合が多い。 105頁
一般的な話としてだが、数学モデルにおいては、式を書くことより、そこにインプットすべきデータを集めることの方が難しい場合が多いのである。106頁
医学における誤り(医学以外の場合にも当てはまる)は、分母やコントロール集団を考慮することなく、数字を無批判に信じたことによって起こることが多い。111頁
症状があって診断された場合と、スクリーニングで診断された場合を区別するために、報告を行うフォーマットには、どうして検査が実施されたのか(中略)といった項目が設けられていることも多い。私の経験からいえば、こうした分類はそれほど容易ではない。検査を行うかどうかの判断はさまざまな要因によって規定されるため、その要因を一つに絞るという作業は、ある程度恣意的にならざるを得ないからである。134頁。岩田の意見では、いずれにしてもこれは、日本では希有。日本では、「どうして検査をしたのか」主治医自身が説明できないことが多いから。
どの教科書も、情報の還元の重要性をまじめくさって述べている。しかし適切なフィードバック(還元)は容易な仕事ではない。137頁
定点観測は通常臨床診断に基づいて行われているため、「感度」はよいが、「特異度」は低いというのが一般的である。137頁
データを中央に提供する末端が、分析結果を活用できないシステムであれば、そのシステムは必ずや失敗に帰するであろう。138頁
感染性を計算する際の前提として、分母となる全ての人は病原体に曝露されているという条件がある。しかしこれを証明する方法はない。しばしば常識と確率の問題になる。空気感染の場合であれば、物理的な距離や風向き、患者と曝露される人の間に存在する空間の体積といったものによって規定される。139頁
また、読者が発症率や感染性に関して書かれた論文を読むときには、無症候性感染が考慮されているか否か、またどのように考慮されているかに関してチェックする必要があることを示している。148頁
人生も不確かな疑問に対する不完全な答えに満ちているが、科学もある場面で私たちを失望させることがある。私たちは常に常識というものを忘れてはならない。奥羽のことが脆弱な科学的基礎の上に構築されている臨床医学と同様、日々の生活の中における感染症対策や予防もまた完璧な科学的研究に基礎を持っているわけではない。あるいはそうした研究が行われるのを待っているところであると言えるかもしれない。何をしているかについて自覚している限り、また新たなアイデアに基づいて試行を繰り返す用意がある限り、常識に頼るということは必ずしも悪いことではない。196頁
疫学とは集団を比較する学問であるが、比較すべき値は個人に対する計測に基礎を置いているのである。198頁
つまり、基礎再生産数(R0)が高くなればなるほど、集団内の免疫を獲得した人の割合が高くなければ集団免疫を獲得することができないことになる。217頁
数学モデルは流行の将来像を予測するためにはあまり役立たない。238頁。これは、岩田の意見だと、社会学でも心理学でも教育学でも、脳科学でも、経済学でも臨床医学でも、だいたいそう。モデルは現状の説明には使えるが、未来の予測にはあまり役に立たない。無理矢理やると、マルクス主義のようなおかしな話になる。
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